プライマリーライフ

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組織にいながら、自分であること

 確実に真夏に近づいている。
 早朝きちんと早起きができれば、その日の充実感は高い。昨日も、4時半には起床し、私のやりたいことをすべてやって、出勤した。とくに最近はジョギングがたまらない。30分足らずだが、しっかりと汗をかいて風呂につかる。勤務中の午後には、まるで夏休みのプール帰りのような心地よい疲労感につつまれる。これも脳内麻薬なのだろう。

 国会に新人を派遣するために、私は一日当番業務にはいった。現場全体がたいへんな一日になった。そもそも国会に新人を派遣するか?、判断をしたのは自分だ。職場にとっては審判ともいえるこの問いが私に投げかけられたとき、私は「体制が許されるならば、ぜひ参加を。」と反射的に答えた。もちろん、体制を決める主任も私がそういうことを見込んだ上でだ。

 精一杯だ。組織で生きていくために、なんて考えたこともなかった。今でも自分の悩みはそのままに、投げかけている。それでも組織が私を雇ってくれるなら、お願いしたい、との姿勢で。

1.組織の流れに沿いながらも、自分が大切にしている考えや人はつながりつづける
2.TVを見るのは久しぶりだ。塚地の骨折も治ったらしい(骨折していたのか)
3.自己満足をつづけてみて、好きを貫く。

 そして通勤時間に、参加できなかった学習会のmp3を聞く。経済的な理由で医療にかかれないギリギリの状況が伝えられる。わたしは、どうそれに関わるのか、また考える。

看護学校薬理の講師4年目に人生の文脈がみえるか

 看護学校薬理の講義が、昨日は4時限目だった。講義をするのもいよいよ4年目で、できれば他の方に譲りたいと再三申し出ているのだが、かなわない。
 昨年までは看護師国家試験に合格することがゴールだから、予備校講師のようにポイントだけ話をして、サヨナラ、という風体だった。もちろんそれはそれで学生の意を得たのだが、どうもそれを繰り返している私の側が、しっくりこない。正直参ってしまったのだ。

 点数をとるための勉強は、やったらいい。教科書読んだらいいじゃん。ネットで調べりゃいいじゃん。
 わからないところや、勉強のコツなら、教えるよ。

 正直、そう思い始めたのだ。
 ここで私が教えていることは、問題でも何でもなく、教科書のなぞり。そう思ったら、貴重な90分を費やす意義が申し訳ないがみえなくなった。

 自分人生の文脈を確認している私は、今年から、好きなことを話しさせていただくことにした。もちらん生真面目な気性だから、とんでもないテーマから薬理に最終的には結びつくのだが、本当の経験からの学びの方が、学生にもいいのではないか、と思いはじめた。
 用意した話はそのままにはならないし(CONTINGENCY)、学生たちの目を見ることが何よりも私にはいい時間。

 あと13回。何を話そうか。

そんなに思われていたとは

 緊張のためか、4月に入職した部下が休んだ。心配でならない。
 これまで「あなたは冷たい」とさんざん言われ、そう思われてきた。思いを言葉にしないことは、ずっとつづき、先週、別の部下の送別会でも「そんなに思われていたとは」と驚かれた。
 有言実行がいいよ、と大学時代には先輩にいわれた。何もいわずにやるひとは格好いいけど、宣言をしてやっちゃう人はもっと格好がいい。

 しかし、静かな、私の気持ちは昔と変わらない。

 それを小児科の若い女医がいう。「セイフティベースですね」彼女は先月ホテルマンと結婚したばかり。結婚する相手はセイフティベースがいい、という。いつ帰ってきても安心。ということ。現に退職した彼女も、わたしのことはベタほめだったという。
 セイフティベースな男も、そうはいっても感情の起伏があって、それを近くにいる妻は気づくのだという。だから、結婚はそこからがはじまりだし、ああ、この人もこんなふうに暴れたりするんだ、という味わいがあるらしい。

削り取ったあとに残るもの

 削り取ったあとに残るものは何か

 熱中するものに熱中していたら、いまの資本主義下ではそれは仕事になるだろう。だから趣味と呼ばれるものなんてないはずだ。熱中していたら、一定の成果と評されお金がからむ。だから、普通は無償の趣味なんて、半端なことで、すべては仕事だ。

 そこに残った熱中は何だろう。やることも言葉も削り取られ、残ったものは、何か。
 どちらでもいい。
 わたしはいま、自分が熱中できそうなことに、時間を使う。余計なことはしたくない。

無趣味のすすめ/村上龍
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 久しぶりに村上龍のエッセイを読んだ。学生のころは「すべての男は消耗品である」シリーズを読んでは、そうなるものか!と意気込みながら読んでいたころを思い出す。
 サラリーマン人生も半ばにさしかかり、趣味なんてないぞ、仕事しかしてないじゃん、という私には、1つめの「無趣味のすすめ」をそれでいいじゃんと背中を押されたようなもの。村上龍がそういうなら、この先の生き方としてありか、と自分にうなづく。
 そして、文章の書き方については、小説なんぞも、いいたいことがハッキリとしていて、簡潔なのがよい、とのメッセージ。ブログも気楽に書かずに、削り取った文章で書こうと襟を正した。

裸の心

 裸の心をそのまま書くと、どうにもならない。
 立ちすくんだ自分の気持ち。
 その先のことは、考え中。
 過去のことも、整理がついていない。

 これが、裸の心。

日本大学理工学部のカフェ

 薬局長会議のお昼休みに、同期の薬局長と大学でランチをした。500円、安さなりのおいしさ。

 明らかに周囲は20代くらいの若者と研究者っぽい人たち、学びと不安の環境に身をおかせていただけることがありがたい。雑念なく、その世界でひたすら学ぶ。
 ビジネス社会は面白いが、純粋に学びたい時間がほしいときがどうしてもある。
 都内には大学がたくさんある。また遊びに来よう。

プライマリーライフ-日本大学理工学部のカフェ

春なのに寒い風

 医療事故。責任をもって経過をみながら治療することの責任の大きさにぶち当たる。
 土曜日の休みに、病院に赴く。とにかく、患者が大丈夫か、主治医は何というか、安全管理者はどうしているか。そして、ご家族に謝罪しなきゃ。その気持ちでいっぱいだった。

 病院に向かう途中、どんどん胃が小さくなるのを感じた。自分が萎縮しているのだ。こういうときには、何も手足が出せなくなる。きっと仕事でうまくいかない新人たちもこんな気持ちを味わっているのだろう。
 なぜ萎縮するのか。もう自分のことで失敗したくないからだ。新人になら、こう声をかけよう。大丈夫だ、君には頭があるから、できそうなことをすーっと手足のばしてやってごらん。大丈夫だ。

後ろのスタッフの顔色

 「やばい顔色しているよね」といわれたらしいうちの部下。
 笑顔にしていれば、いいことが起こるし、いい仕事ができると茂木健一郎。
 そのとおり。
 作り笑顔と大笑いは違うが、「笑顔にしている」というポジションを維持したい。

TOEICテスト1ヶ月前に700点への道のりが見えた

 2ヶ月も前に買った公式問題集ver3をやっと解いた。受験勉強時代なら、解答集を暗記することからはじめたのに、真正面から45分の時間を費やして1問1問解いた。100点中68点。250-300点の範囲らしい。昨年と何ら変わっていないじゃないか!
 と、ペンを投げて、わたしはスターバックスお茶の水店(という名前かわからない)で、村上春樹の海辺のカフカのつづきを読んだ。昨日感じたように、村上春樹には仕事を放り出してでも読まなきゃならない衝動を感じる。今読まないとだめだ、というあの感じだ。どのストーリーにもでてくるような、猫、空き地、彼女と彼女とのセックス、痛ましい光景、そして世界とのつながりと死。
 上巻を半分くらい読んだところで、冷静さをとりもどした。
 いま去年と同じなら、あと1ヶ月で100点くらい伸ばせるのではないか。ただし、女神と契約したとおり好きなことを手を抜かずにやり抜くならばだ。

■さっそく、実力の差分を計算した。
・100点中68点、あと10問、78点なら確実に350点。リーディングはこれでいい。

■残り10問が解けなかった理由。感想
・寝てしまった
・まったく歯が立たない、30%くらいは、山勘だった気がする。
・part3,4は、事前に全文読めなかった。対策本には何と?(  )疑問文だけでいい?
 当日はがんがんメモするか?

■対策は、ver3の1冊をやりきることだ
・現実をふまえつつ、あと10問を意識する。「700点は取れる範囲だ」
・解答集を読み込んで、単語とフレーズを覚え、リスニングできるようにする。いつ?(通勤時間)
・ver3のTEST2も実際に解いて、同じことをする。いつ?(   )

 さっさとお昼を食べて、リーディングも解こう。
 ショックを受けて、ダイナミックレンジを揺さぶって、その反動で勉強しよう。

これからの阿修羅

 娘をうばわれた阿修羅が、仏陀に懺悔をしている表情という説。

 奈良の興福寺で地味にわたしを見つめた阿修羅が、いま東京で四方からスポットライトを浴びて万人に迎えられているという。
 怒りに対して怒るのはそのままだ。怒りに対して、それを受け止める。そこにいまの阿修羅はいる。その先は何か。笑った阿修羅になるのだろうか。
 いや、私はもしかしたら痛い思いを人はしながら生きてきて、どうしても痛い思いはせずにはいられなくて、いまの阿修羅のように、笑いもせず、怒りもせず、しかし気持ちあり、というポジションで半生を生きていくのではないか、とテレビ越しの阿修羅をみて思った。

 阿修羅が奈良にもどったら、またゆっくりと会いに行こう。
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