悲しみはとてもとても美しく尊い感情。

悲しみという感情を表現することを大切にしてこなかった。

悲しみが塵と積もって、氷のようになって沈んでいて身体が重い。

自分の悲しみの泉に入り、浸る。

自分の涙がその冷たい泉を温かくするまで。

 

この何年か、満月の夜に泣くことが多かった。

最近はそうでもなかったけれども、再びそれが来た。

きっかけは、YTであがってきた四国遍路の番組。
 

四国のお遍路を終えたのは2018年。

以前も見たことがあった番組だったけれども、

懐かしさと、現地のお接待文化や諸々に感動して涙が沸いてきた。

山と海と清流とたくさんの人々の温かさがとても恋しくなった。

星ケ森、水主神社、後日登った、剣山、石鎚山などなど

八十八ケ所以外でもたくさんの思い出がある場所。

 

そして、何となく手にとった宮沢賢治。

永訣の朝を読んで涙が沸いてきた。満月でなければ泣かなかったよね。

そういえば、中学校の教科書に載っていた無声慟哭で泣いたのを思い出していた。

めったに泣くことない感性だったのに授業中に泣く自分を

不思議に思ったことをよく覚えている。

 

そして昔の自分が線を引いていた一文に目が留まった。

農民芸術概論綱要にある

なべての悩みをたきぎと燃やし、なべての心を心とせよ

風とゆききし、雲からエネルギーをとれ

 

あらためて、風の人だなあ。

 

そしてさらに、これを書いていて月に吠えた萩原朔太郎も気になった。

 

「人が自己の感情を完全に表現しようと思つたら、それは容易のわざではない。

この場合には言葉は何の役にもたたない。そこには音楽と詩があるばかりである。」

「詩は神秘でも象徴でも鬼でもない。詩はただ、病める魂の所有者と孤独者との寂しいなぐさめである。」

『月に吠える』より、

 

私が嫌いだったものは なぐさめ だった。

と気づいたのは、2017年に山形の黒いマリアのある教会に行った時。

「悲しむものは幸いである。その人たちは慰められる」

そのコトバが書かれた紙片を手に、なぐさめなんて何も役にたたないと

即反応した私。その後思い直しましたが。

なぜその教会に誘われたのかがよ~くわかりました。

 

涙は口をきかない悲しみのことばである。 ヴォルテール

 

悲しみのことばを流しましょう。それはとても美しくて温かい。