こんばんは。
すごく久しぶりにブログを書きます。
ここ3ヶ月、本当に大変でした。
少し落ち着いて振り返りをしたいと思います。
大変だったというのは仕事です。
結論から言えば、また仕事を辞めることになってしまいました。
まだ3ヶ月と周りは思うかもしれない。
でも私にとっては果てしなく長い3ヶ月でした。
こんなに早い段階での退職の結論は、正しかったのかと言われれば正直分からない。
でも自分を守るためには止むを得ない手段でした。
辞めた後も、「本当に良かったのか…」と思いますが、このブログを久しぶりに開いて、過去の自分の記事を読んだ時、「大変だったんだな」と改めて思いました。
12月から働き始めて、この働き方の異常さを感じたのは初日からだったと思います。
その感覚は間違っていなくて、日を追うごとに確信に変わっていきました。
私は何とか日々を乗り切っていましたが、これがずっと続けられるかといえばまったくそんな自分は想像できないという自問自答を繰り返していました。
この生活は心身の不調をひきおこしました。
歩きすぎて靴下に穴があいたのは何足になったか分かりません。
毎日足のひどいむくみとそれによる痛みにも悩まされました。
足の裏がひび割れて出血して痛かった時もありました。
手荒れもひどくて、発疹と水ぶくれで痒みと痛みがひどかったです。
さらにはめまい、浮遊感、水の中や高所にいるときのような耳が詰まった感じ、音が耳に響いて痛い感じが出ました。
ストレスと疲れだろうと思ってはいましたが、一時的なものと思い、受診をせずにいました。
最初にこの症状が出始めたのか12月働き始めてから1週間ちょっと経った頃でした。
2月初旬、症状が続くため耳鼻科を受診をしました。
そこで低音性の難聴があることがわかり、内耳のリンパの流れを良くするために漢方が処方されました。
それを2週間飲んだ後に再度受診しましたが、難聴は既に固定されているとのことでした。
「厳しいね」との医師の言葉。
難聴に関しては、日常生活を送る中で聞こえの悪さを自覚することがなく検査するまで分かりませんでした。
とくに生活を送るのに特段支障を来してはいないものの、やはりショックでした。
その受診の帰りにはポールに車をぶつける事故も起こしています。
聞こえの悪さは特に感じないものの、浮遊感、音が耳に響く感じは変わらず。
座っていてもふわふわ、歩いていても地面に足がついていないような感じがしました。
認知症患者の叫び声や少し大きな物音は耳や頭に大きく響き、まるで耳が壊れそうな感覚になります。
そんなこんなでも何とか仕事をしてました。
でも何度も何度も、ここまで自分の身を削って働く意味はあるのだろうかと疑問に思いました。
そして退職を決意した次第です。
当初は病棟を変えてもらうという話もしていましたが、正直、この病院はきっとどこの病棟に行っても大差ないのではないかと思いました。
運営母体も安定しているから長く働くにはもってこいの待遇でしたが、そんな長所を軽く上回るほどに労働環境は過酷でした。
何で他の人はこの環境で働き続けられるのだろう、自分は甘えているだけなのか?と思うこともありましたが、人にはそれぞれのキャパシティがあります。
私には無理だったということです。
今は虚無感と開放感、両方入り混じっている感じです。
これからどうやって生きていこう…看護師としてまて働いても同じ経過をたどるのではないか。
そんなことも考えると先が見えなくて不安になります。
かといって、看護師以外の職に就くことはかなり思い切りが必要です。
経験もないし、確実に収入が減ります。
看護師という免許がありながらそれを利用しないことへの罪悪感もあります(親に対して、です)。
それでもなるべく早く職を探さないと収入がありません。
死を考えることもあります。
人生うまくいかないものですね。
良かれと思ってした選択が間違っていた。
正しい道を誰か教えて欲しいです。
精神科の先生には仕事を休むと伝えましたが、辞めることは話してません。
止められると思ったから。
でも、自分の心と体を守るにはこの選択しか無かった。
とにかく今は自分と向き合い、今後進むべき道を考えること、体調を整えること、これが今私のすべきことだと思ってます。
耳の調子は変わらずです。
明らかにこの仕事が原因だけど、結局こうなってもその責任を病院がおってくれるわけではありません。
退職の日にも看護部長と顔を合わせる機会はありませんでした。
そういう病院なのだと思いました。
辞めたことは正解だったかもしれない、そう思いました。
でもあまりにも代償が大きい。
引っ越しもして、健康も失って、職も失った。
けど、自分の選択なので誰も責められません。
今は真っ暗闇です。