ところで、
子供の教育方針は、どの程度、夫婦で擦り合わせているものでしょうか。
私の両親は全く擦り合っていませんでした。
父親は習い事一切必要ない、という価値観だったので、
母親が働いて、習い事の費用を捻出してくれました。
水泳、ピアノ、バイオリン、体操、YMCA をやってました。
一方、父親は、大学費用は全部出してくれて、
勉強に集中できるようにと、バイトしなくても十分な下宿費用をくれました。
母親は、女の子の1人暮らしには反対だったので、下宿の費用は出しませんでした。
両親の意見はいつも真っ向から対立していて、落とし所は全くなく、
子供としては、自分に都合いい方の意見に従っていました。
そんな両親の元で育ったので、
夫婦で意見が違うのは当たり前だと、私は思っていて、
別にそれで構わないとも思ってます。
我が子の教育についても、
自分の稼ぎの範囲内で、自分がいいと思う子育てをやってきました。
一方、
夫は、彼の教育方針について、私が介在しないことが不満だそうです。
なぜなら、義実家では、
父親の教育方針は、母親が仲介する形で、子供に伝えていたそうなのです。
なので、夫自身が、自分の言葉で、子供に教育することを躊躇する?とのことで、
私に「勉強しろ」だの「家の手伝いしろ」だのを、
彼の代わりに、言ってほしかったのだそうです。
でも、私は、夫の意見には全く同意しなかったので、
全く実現しなかったという顛末です。
自分の子供に不満があるなら自分で直接言え、と、
本気で思うわけですが、
夫は、彼自身が父親に何も言われたことがないので、
息子への向き合い方がわからないのだそうです。
義実家みたく、教育方針が、夫婦で一致していることなら、
もちろん協力するにやぶさかではないですが、
なぜ、一致していないのに、私が言わなければいけないのか。
例えば、
夫は、子供がもっと勉強すべきだと思っていて、
「勉強しろ」と、自分は言わずに、
「私に言ってほしい」、そうなのですが、
私は、子供に勉強してほしいとは、別に思ってないので、
「勉強しろ」なんて、絶対言わないです。
「勉強しろ」って、フワっとしてますよね?
何をどのくらい何すればいいのか、全然わからん。
この言葉を聞いて、本当の「勉強」をできるわけないと思います。
とんでもなく意味ない言葉だと思うし、
ゲームより面白いものを、子供に提示できないのは、
むしろ親の責任だと思ってます。
それを、子育て15年目にして、最近、夫から聞きました。
「子育ては失敗だった、もっと協力して欲しかった」と。
私の返事は、
「マジで?私は十分成功してるけどね。」と。
私の中での「子育ての優先順位」ははっきりしてます。
まずは、子供が生きていること。
健康で、楽しい人生を送ること。
息子は肌が弱いので、衛生的であること、
風呂で汗を流すことの重要性は十分教えました。
帰宅したらまっさきに風呂に入るように、という躾は、
彼は、十分守っています。
彼が、風呂に入らず寝ていたことは1度もないです。
次にスポーツ。
運動神経を鍛えれば、脳に刺激がいくのは間違いなく、
赤ちゃんの頃から、全身をさすってマッサージをしていました。
週末の外遊びは、子供が満足するまでずっと付き合ったし、
小学校6年間、スポ少の当番も役員も、引き受けてきました。
両親から受け継いだ遺伝子背景の許す範囲で、
最高のパフォーマンスが引き出せていると思います。
勉強はね、、、、
もちろん大事ですよ?
大事だけど、親が言って何とかなるレベルってのは、
すでに、正直「終わってる」と思いますね。
旦那と私が望むところの知性のレベルには、到底及ばない。
自分が楽しいと思ってやらないと、伸びないですからね。
「勉強しろ」なんて、勉強してこなかったやつが言うセリフというか、、、
自分が十分勉強してたら、人に言ったりしないですよ。
そんなん子供に言う暇あったら、親自身が勉強すべきなんです。
夫の子育ては「失敗」だったそうですが、
それは、本当にかわいそうだなと思います。
義実家は父親と母親の連携がうまくできていたようで、
それを否定する気はないですが、
一方で、
人に頼らないと実現しないような子育て方針は、
少なくとも、私は良しとは思わんです。
どの親も、基本的には1人で、我が子に向き合う必要があるんではないかと。
うちの両親の場合は、
両親不仲だから実現していたわけですが、
家庭内で、
全く異なる価値観を学んでいたという経験は、
少なくとも社会で、
多様な価値観を享受するのに十分役立っていたとは思います。
その点、1人親家庭は難しいんですよね、、、
逃げ場がないっていうか、、、
1人の価値観が、まんま子供に反映するのはちょっと恐いなと思います。
伸び幅がないんですよね。
ストーブの前で、珍しく仲良し。
