さっき、ケーブルテレビで、「容疑者Xの献身」を見て、
もう5回くらい見てると思うのですが、
また見てしまい、やっぱり泣いてしまいました。
毎回泣いてしまうのですが、
私と旦那が泣くところは、
話の本筋とはあまり関係ない状況です。
福山雅治のファンとかでもないです。
怜悧な湯川准教授が、
大学同期の天才・現在はしがない高校教師の石神と再会して、
石神が湯川を眩しそうに見るシーンが、
もう泣けて泣けて、仕方ないのです。
大学入学で、
学問の道を志して、真っ直ぐな気持ちで入ってくる
若者は多いのです。
少なくとも、私が入学した、京大理学部では、
「将来、ノーベル賞を取る学者になりたい」と、
大真面目に宣言する優秀な同期は何十人もいました。
ほとんどが、
小さい頃から地元の神童ともてはやされてきた子達です。
私みたく、
学者どころか、彼氏と一緒の大学に入りたかったから、
しかも、センター失敗して、
第1希望でもなく理学部に来たってのは例外の部類でした。
しかしながら、
志高く来た300+人の神童たちは、
最初の数学の時間で、
完全にフルイにかけられることになります。
見たこともない呪文のような数式が黒板に書かれて、
「これが分からないものは、いますぐ教室を出ろ」と
言われます。
自分が必死でしがみついている机のすぐ隣で、
謎の術式を展開する奴がいて、
n 次元空間で物体を軽々回すことができる奴が出てくるんです。
受験数学がいかに意味のないものであったか、、、
あの絶望ったらないです。
ましてや、私の在学中は、バブル崩壊の余波もあって、
家庭の事情で進学できない人や、
教授とうまくいかずに、精神的に不安定になって
やめていく人が大勢見ました。
まだアカハラパワハラが当たり前のように横行していて、
暗黙の徒弟制度がありました。
優秀で真面目な奴ほど機会に恵まれないなんてことはあって、、、、
何の才能もない私が、
未だにオメオメ生き残ってる始末です。。。
自分は、立場的には「湯川」なんでしょうけど、
圧倒的に共感するのは「石神」の絶望というか、
尊敬と羨望と諦めと、、、ささやかな幸せと、です。
自分の目の前に「湯川」が現れたら、
果たして、
昔みたいに心を交わすことができるのかどうか。。。
私の現実世界に「湯川」の存在はいませんが、
20年前には、実際、居たんですよ。
今はもういない、という現実にも泣けます。