実相院門跡さんから徒歩すぐの岩倉具視幽棲旧宅へ
受付でガイド説明しますか?と聞かれたのでお願いしました
岩倉具視幽棲旧宅
よく勘違いされるのですが、幽閉されていたのではなく、命を狙われていたので隠れ住んでいた場所だそうです
和宮と徳川家茂の婚姻を進めたことによって、過激な尊王攘夷派から佐幕派の人物と見られて命を狙われ、文久2年(1862)に辞官落飾して洛中を去って西加茂の霊源寺、ついで西芳寺に移り住み、後に岩倉村に藤屋藤五郎の廃屋を借りて幽棲しました。(岩倉具視幽棲旧宅HPより)
(※画像をお借りしました)
(※画像をお借りしました)
茅葺の質素な外観の建物で西側に玄関である式台を設け、玄関、6畳の次の間,床の間のある6畳の座敷と東西一列に部屋が並ぶ間取りで、南側に縁側を設けています。(岩倉具視幽棲旧宅HPより)
現在は京都市所有だそうです
主屋 鄰雲軒
大正ガラスの障子戸
幕末期に坂本竜馬・中岡慎太郎・大久保利通などが訪れて此処で語り合っていたのですね
七代目小川治兵衛作庭