実相院門跡さんから徒歩すぐの岩倉具視幽棲旧宅へ

岩倉具視幽棲旧宅

岩倉具視幽棲旧宅
受付でガイド説明しますか?と聞かれたのでお願いしましたニコニコ
岩倉具視幽棲旧宅

岩倉具視幽棲旧宅

よく勘違いされるのですが、幽閉されていたのではなく、命を狙われていたので隠れ住んでいた場所だそうです


和宮と徳川家茂の婚姻を進めたことによって、過激な尊王攘夷派から佐幕派の人物と見られて命を狙われ、文久2年(1862)に辞官落飾して洛中を去って西加茂の霊源寺、ついで西芳寺に移り住み、後に岩倉村に藤屋藤五郎の廃屋を借りて幽棲しました。(岩倉具視幽棲旧宅HPより)

(※画像をお借りしました)
岩倉具視幽棲旧宅

(※画像をお借りしました)

岩倉具視は、元治元年(1864)に大工藤吉の居宅(現在の附属屋)を購入し、主屋と繋屋を増築して住居としたのが、この旧宅です。
茅葺の質素な外観の建物で西側に玄関である式台を設け、玄関、6畳の次の間,床の間のある6畳の座敷と東西一列に部屋が並ぶ間取りで、南側に縁側を設けています。
(岩倉具視幽棲旧宅HPより)
現在は京都市所有だそうです
岩倉具視幽棲旧宅

岩倉具視幽棲旧宅

岩倉具視幽棲旧宅

岩倉具視幽棲旧宅

岩倉具視幽棲旧宅

岩倉具視幽棲旧宅
主屋 鄰雲軒
岩倉具視幽棲旧宅
大正ガラスの障子戸
岩倉具視幽棲旧宅
幕末期に坂本竜馬・中岡慎太郎・大久保利通などが訪れて此処で語り合っていたのですね!!
岩倉具視幽棲旧宅

岩倉具視幽棲旧宅
七代目小川治兵衛作庭
岩倉具視幽棲旧宅

岩倉具視幽棲旧宅

岩倉具視幽棲旧宅

岩倉具視幽棲旧宅

岩倉具視幽棲旧宅

岩倉具視幽棲旧宅

岩倉具視幽棲旧宅

岩倉具視幽棲旧宅


慰霊碑・お隣に槇子夫人の碑

岩倉具視さんの遺髪が納められています

具定、具経の碑

息子達の遺髪もお隣に

若大将の加山雄三さんは岩倉具視さんの直系子孫だそうですびっくり


岩倉具視お手植えの松

対岳文庫
こちらは資料館です
関西近代建築の父 武田五一が設計

興味深く説明くださった方は 施設を管理している植彌加藤造園の方でした
ありがとうございましたおねがい

植彌加藤造園さんは創業嘉永元年より南禅寺の御用庭師を務める京都の造園会社さんです
南禅寺、東本願寺、智積院などの文化財庭園や、無鄰菴をはじめとする別荘庭園の育成管理や作庭に携わっているそうです
2024年4月