2022年4月の京都旅行です
偶然にも娘家族が同時期に京都旅行する事が直前に分かりおねがい なかなか無い機会なので2日間ご一緒させて頂きましたラブ

娘家族は翌日からだった為 初日はおひとり様です
予定通り醍醐寺方面へ
まずは小野小町ゆかりの隨心院さんへ
隨心院
総門を入ると小野小町の歌碑
隨心院
真言宗 大本山。
小野小町ゆかりの門跡寺院。 
小野小町が晩年を過ごした地とされ、千通の恋文を埋めたという文塚やその恋文でつくられたという小町文張地蔵、化粧に使った井戸など、小町ゆかりの遺跡が残る。
梅の名所としても知られ、春には「はねず踊り」が行われる。(隨心院HPより)
隨心院
庫裡の玄関にも小野小町ニコニコ
隨心院

隨心院

隨心院
能の間に有名な極彩色梅匂小町絵図 
隨心院

隨心院
能の間では和装の花嫁花婿さんが写真撮影をしていたので、皆さん本堂の濡れ縁などで撮影が終わるのを待っていました
長い時間お待ちしていましたが、お祝いする雰囲気でした 
おめでとうございますラブ
隨心院
極彩色梅匂小町絵図 
2009年 だるま商店作
隨心院
①生誕の図
出羽の国(秋田県)で生まれ生活する様子を描いた作品
小野小町は絶世の美女として知られており、美人の代名詞とも言える人物だが、平安時代の女性のご多分に漏れず、生没年をはじめその素性はほとんど明らかにされていないなど、その人物像には謎が多い。同じく百人一首に選ばれた小野篁の孫とも言われるが、多くの学者からは矛盾点が多いため否定されている。(隨心院HPより)
隨心院
②饗宴の図
仁明天皇のもと宮仕えをされる様子を描いた作品
第54代天皇の仁明天皇から、その子である文徳天皇、孫の清和天皇の三代の時代に宮中で仕えていたと言われており、仁明天皇の更衣(父親が身分の高くない天皇の后)だったという説もある。
(隨心院HPより)
隨心院
③伝承の図
宮仕えを辞し山科小野の里でお過ごしになられる様子を描いた作品
小野小町のエピソードとして特に知られているのが、深草少将の百夜通いである。小町に求愛した少将は、小町から百日間毎日通い続けたら受け入れると言われ、毎日欠かさず小町の元へ足を運び続けたが、九十九日目の夜に大雪のため願い叶わず凍死してしまったという伝説である。この話はフィクションであるが、少将のモデルとなった人物は存在したと言われており、同じく六歌仙にして交流のあった遍昭がその候補者に挙げられている。(隨心院HPより)
隨心院
④夢幻の図
山科小野を出て諸国を放浪される様子を描いた作品
その一方、小町は長命であったと言われているが、その晩年を描いたエピソードは乞食となって落ちぶれた、地方各地を放浪して行き倒れになったなど、美人と謳われた全盛期とは一転して不遇なものが多い。その反面、故郷の東北に帰って静かに隠棲した、百夜通いで命を落とした少将を弔って90歳近くまで生きたなど、穏やかな晩年を描いた話も少なくない。(隨心院HPより)
隨心院
帰りがけに小野の化粧井戸に立ち寄りました 小野小町が朝夕井戸で顔を洗った(化粧をした)と言われているそうです
2022年4月