3ヶ月ほどブログを書いてきましたが、自分についてはあんまり書いていないので、

ちょっと書いてみます。

 

 

 

・誕生:東京の下町に生まれる。一卵性の双子。私は妹担当。

親戚に双子はいない。父方には女の子の孫が一人しかいなかったため、

周りの親戚、従兄弟たちからかわいがられる。

妹も数年後誕生。3姉妹の真ん中っ子です。

 

・6歳まで

双子の妹として過ごし、姉におやつを横取りされながら過ごす。

双子なので写真では姉と色違いの服を着ていることが多い。

保育園では給食が食べられなくて、居残りが通常。

記憶にあるのは、登園時に母にしがみついて登園阻止しようとして置いていかれる笑

園庭の隅っこで母が歌っていた歌を、一人で雰囲気を噛み締めながら歌っている笑

戸建てに引っ越しをして妹が生まれる。

 

・小学校

双子で入学するので、一人ずつ別のクラスに分けられることが寂しかった。

男の子に喧嘩を挑み、負けてシクシク泣くことも。

テストの点数で友達に負けて、悔しくてまたシクシクとこっそり泣く。

友達からは格下に見られることが多かったが、あんまり気にしてなかったかも。

それでも一緒に遊べることがよかったのかも?でも思い返すと嫌だな笑

それなりに友達もいた。登校できなくなった子の家に遊びにいってゲームで仲良くなる。

その子とは絵を一緒に描いたり、先生をパロディにしてお話を作ったりと色々遊んだ。

 

・中学校

わりとおとなしい系の子たちと仲良くしていた。気楽に話せて楽しかった。

イケイケ系は全然合わなかった笑

バスケ部、テニス部を渡り歩く。バスケ部ではイケイケ系にいじめはされないものの、

ハブられたりと酷い扱いを受けて、ため息。

むしろ自分と合う、ちょっと変わった子たちと

仲良く過ごしていた。

(優等生すぎて避けられる子と友達だったけど、私はむしろ楽しかった)

この頃から背が人より高いことで部活の勧誘も受けたりした。

最初にいたバスケ部では、先輩達にとても可愛がられて嫌がらせ受けたのかも。と

大人になって思い出した。先輩達は可愛くて、美人で、バスケもうまい。そして

ギャグセンスもあるいけてる先輩達でした。今思えば、もっと仲良くなれて、部活を

続けていられたら、よかったかな、とは思う。

このころ初めてCDを買う。岡本真夜さんでした。

 

・高校

バスケ部⇨テニス部⇨バドミントン部で部活。テニス部でもちょっとしたことで

結局目の敵にされていた。思い出すとちょっとつらい。

でもバドミントン部のメンバーはみんな寛大で、

みんなで楽しむ感じがとってもよかった。

顧問の先生もちょっと変わってるけど、みんなのことをよく考えてくれている

いい先生でした。

人生での衝撃。姉がSIAMSHADEのCDを買ってきて3姉妹ではまる。

「1/3の純情な感情」のヒット、SIAMSHADEⅣ発売のあたり。

ファンになってからはその当時、BBSとかファンサイトが流行っていて、

出入りをするようになり、夜中のチャット、いろんな人とメールをするようになる。

その中で年上のお姉さんに可愛がってもらう。結婚する直前くらいまで繋がってて、

人生で楽しいこととか、色々助けてもらった。人生の視野を広げてもらった。

そして今となっては真実は闇の中だが、その人を通じてメンバーと電話をしたような、

夢?だったことがあった気がする。今思うともしかしたら引き寄せたものかもしれない。

父が入院し、1年も経たず急死。人って死ぬんだ。。。と目の当たりにする。

ショックもありつつ、お風呂の蓋を開けて、その下に父の幽霊がいたら怖い、とお風呂が怖かった。

この辺はやっぱり若いなと思う笑

そして友達とバンド活動をしていた。

 

・大学

SIAMSHADEにハマりすぎた結果、「学校がなんぼじゃ」となっていたが、

父の急死を受けて、やっぱり大学に行った方がいいかも。と思う。

この頃、父の代わりに男手にならないと、と、PCとかちょっぴり頑張ってた。

なんやかんやで栄養士系の短大に進学。

この間もバンド活動継続。

バイトは親の意向と、奨学金でなんとかなるのでしていなかった。

この頃、とても気の合う友達と出会う。素直で、私よりも勉強ができて、優しい。

思えば私を否定せずにいろんな話がお互いにできたのが、しっくりきたのかも。

それに同じ三姉妹という境遇。泊まりに行った時も、寝る寸前まで話して、

起きたらすぐに話しまくって、話が尽きなさすぎてウケた。

母になってもいまだに仲良し。

 

・社会人

20代

大学で学び、栄養士をゲット。でも「就職がなんぼのもんじゃ」で笑

スーツなんて着るかい!みたいな感じで、卒業後バイトをする。

実習で行った保育園の栄養士の産休代替の仕事をいただき、

実習時はすごく厳しくされたのに、仕事で行ったら手取り足取り教えていただき

社会で仕事をする上での基礎を教えてもらった気がする。

「人に聞くときはその先も考えてから質問をするといい」

女性ばかりの職場での立ち回りもここで学んだかな。

とても良くしていただいた。

 

保育園の仕事の期限が切れ、さて、どうするかな、と考えた。

某カフェチェーン店で働く。めちゃくちゃ楽しい。ほぼ女性の職場だったが、

マネージャーさんがサーファー系のおじさん。でもバイトの女の子達に

めっちゃ揶揄われながらも、優しい人で、ここでも良くしてもらった。

このバイトでは職場のコミニケーションと、バイトでもみんな自分で考えて

店を運営することを学んだ。

お客さんからお手紙いただくこともあったり、これはさすがに若かったので狼狽えた笑

別店舗はバイトが仕事はするけど、いかにも大学生って感じ、

店長は客をさっさと回してお金を稼ぐ、みたいな

考え方で、別店舗に行ったときはゲンナリした。

バイトしながらバンド継続。今の旦那さんと会う。

六本木のライブハウスでライブしたり、アー写っぽいのを撮ったり、合宿したり。

面白かった。

そろそろバンド卒業して、ちゃんとしたところで働こう、と思い、求人を見て

今の会社に採用される。某社員食堂の会社。

 

某社員食堂の会社で、楽しく仕事をしていた。

この頃、スピリチュアルの天使系のセッションも受けたりしてた。

(今と同じような状況で、ネット上で知り合った人と話をしていた)

 

仕事は上司はいても指示はほぼなし、費用の上限とかも言われたことがない、

スタッフは私が気に入った人を採用するのでやめないし、

好きな人を採用してるから楽しい。

調理もレシピもルールを踏襲すればいいので、それ以外は自由。

調理面の衛生は保育園で学んだことをやればいいので、苦労なし。

お客さんはみんな「おいしいね」って言ってくれるし、ディスる人がほぼいない。

接客はバイトで散々やったので、自分も苦じゃないし、楽しい。

調理で体を動かしているし、前のバイトと違って普通の会社の時間帯で動くので

体重が減る。ラッキー。

そしたら某大ヒットを飛ばし笑

その後10年ほど、本を作ったり、料理教室したり、講演したり、

取材をトータルで数え切れないほど受けたり。

栄養士だけど、普通に仕事してたらできないことをたくさんさせてもらった。

残業もあったり、土日は昼寝で終わったり、仕事が入ることもあった。

(今思えば、うつ病にならなかったのは若かったからだと思う)

大変なこともあったり、芸能人も本当にいろんな人がいるのも知った。

優しい人もいれば、なかなかの態度の人もいた笑

この間に管理栄養士ゲット。今の旦那と結婚(旦那は二卵性の双子)。子供が生まれる。

よくよく考えると、こんなに色々会社や社会に貢献してるのに、

ブログ書くまで、まだまだ自己肯定感が低かったな。

 

30代

ちょっと雲行きが怪しくなる。

自分の仕事に口出しされることが増える。

子供を産むとき、早産になった(これはどうにも仕方なかったかもしれない、子供は何もなく元気いっぱいです)

???な後輩ができて困惑(今は和解して全然OK)

通常の業務が減り、食堂部門ができたため、部門を広報に異動。

1年くらい、広報業務を任せてもらえなくて、暇で困った。結構辛かった。

その後、10ヶ月ほど広報業務をするも

時間に追われる、指示を受けなくてはいけない、仕事にルールがありすぎる。

帰ってからも仕事をしていることが多くて、超イライラしてたね。。。

上司のそのまた上の上司からうるさい指示が飛んでくる。

⇨休職。今に至る。

 

 

って感じです。

振り返って書いてみると面白いな〜。

結論。私は学生の時より、社会人で自由にやってる方が楽しい!