母のお民は朝9時に起き朝食の仕度をし佐の市を起こし仕事に行くのがいつものパターンだ。
母はそれが終わり次第外へ仕事に出て行く。
佐の市は芸者の父無し子で3歳から里親に出され6歳で目の病気になり盲目になる。
お民は夫の仙太郎という車力の頭分がいたが飲む賭けるで家は火の車、冬に着る着物もなくなり里親からの養育費もこないので邪魔だったのだ甘やかしそのまま自分の子供として育て佐の市が10歳の時に仙太郎は酒の飲み過ぎで亡くなる。
困ったお民は髪結いができるので色々な髪結いを一銭で請け負い何とか食つなぐ。
お民は盲目ができるのは揉み治療で11歳の時から佐の市は杉山流を習わせ13歳から笛を吹きながら客を呼んでいたが人々が不憫に思って情から贔屓客が付き始め思いのほか評判も良く繁盛し15、6歳の頃より人並みの稼ぎができるようになったのも千束屋のお蔭だ。
たまには店の前で笛を吹いているところを哀れと思われ店に入れてもらったのが始まりだった。
お民は生きていくことの難しさを知っていたので質素に暮らし無駄遣いをしなかった。
やがて佐の市の収入で二人で生活ができるようになったころお民は髪結いを辞め別の仕事を始める。
家賃も滞らず義理も欠かさずあのお民がと近所でも評判になる。
銭のないころに親子喧嘩はよくあるがお民は子を想いたまに喧嘩はあるが腹にたまらず翌朝には溶けてなくなる。
佐の市親子は一日も仕事を休まず大晦日に蕎麦を食べるくらいしかムダ金は使わず金をためることが楽しみでだった。
目は不自由でも按摩の仕事があれば不自由しないし目がある貧乏人よりははるかにましと母親に言って母親を慰める。
しかし心の中は50年の命を半分にしても3度の金を1回にしても2つの目がほしいと思っていた。
按摩を辞めて県庁の仕事をと折に触れて言うが天に梯子をかけてみるようなものでできない相談、そんなことよりお金を貯めるのが一番と相手にしない。
お民も胸にこたえて有り金全てを使ってでも目が見えるようにしたいが神や仏の力も及ばないところと諦めてそんな無知はいれないこと。
来世に久米様のような綺麗な目を持てるように心掛けるほかない。
お前も男ではないか、と言われると返す言葉も無い。
その後も何度か言ってはたしなめられるの繰り返し。
そのうち言わなくなったが未練はずっとあった。
言っても仕方がないから言わなかっただけだ。
しかしこの気持ちは人には語れず慰めてくれる者も無し。
自分を憐れみ恨みかえって持て余すだけだった。
そんな佐の市の心は誰も知らないが宇都宮に一人だけいるのではないかと思っていた。
ただしそれは佐の市の推量に過ぎなかった。
昼は母の不在の間は寝ているが起きた後はすることもない。
あとは都々逸をするだけ。
千束屋で仕事をするのが一番の楽しみであり仕事が終わり帰るときは味気無さ、虚しさは帰るの音を聞くと儚さを感じとにかく目くらは悲しく按摩は嫌、唯、2つ目があればと天に梯子をかけて星を拾うような欲を思う。
翌日いつものように佐の市は千束屋に行くといつも以上に混雑していた。
聞けば東京から大臣直々のお役人である内海様が今着いたということだ。
私がいては邪魔かと聞くと、そんなことは無い、といつもの待合室に連れて行ってくれた。
奥さんも忙しそうでお久米も化粧をして着物を着て忙しい。
佐の市は恐る恐る奥さんにこれから外出か、と聞くと、今晩は知事様からお客を預かってその人たっての希望でお久米を座敷に出す、ということだという。
佐の市は今までに沢山の客が来たが座敷に出せとはよほど立派な方なのでしょう、というと奥さんはムッとする。
先方の要望なら仕方がないがこっちが好んでするわけではないと言い佐の市は驚き一生の思い出にお客を見たいと言って部屋から出て行く。
給仕を任され待っている女二人が色々噂をしているときにそこへ佐の市が突然姿を現す。
面白そうな話をしているようで私にも聞かせてほしいというとお福という女が話し出す。
お福が贔屓の沢村玉之助という女形の役者を観に行ったらお座敷に彼よりずっといい男が内海の座敷にいたという。
それを聞いた佐の市は茫然としてしまいいつの間にかまたお福はいなくなっていた。
広間には内海秘書官と部下が3人いて酒を飲み始め談笑が始まっていた。
お久米は後ろに下がっていたが声をかけられ微笑むと露の垂れたような愛嬌、客たちは酒より先に酔ってしまい、とりわけ内海秘書官は呼び寄せようとする。
長官の前なので君臣の令を重んじ木像のごとくかしこまる属官の中に最も年若く美男の稲葉という男がいてあれがあの座敷にいた男と騒いでいた。
空瓶が並ぶころには顔も銅色に変わり、今までのは茶だ、これからは酒だ、と酔いが回り内海はお久米の所へ行き、年はいくつだ、一杯飲まぬか、酔ったら私が介抱する、と言うがお久米はその手に乗らず。
稲葉も茫然としてお久米にこの美男が目に入らぬかと見るが内海から離れようとしない。
稲葉はいつまでたってもお久米が来ないので仕方なく廊下に出た。
そこへ暗がりのある部屋で人影がするのでお悦という女中に聞く。
お悦は美男の稲葉に呼ばれ喜んでいたらなんだそんなことかとガッカリしどこかの下働きの男だろうと素っ気なく言う。
衝立の向こうに人がいたので稲葉は何だ貴様は、と呼べば座敷にいたものみんなが驚く。
首を捕まえ稲葉は灯りの方へ連れて行けばお久米は、佐の市さんかい、何でこんなところに、という。
佐の市はお久米の方から怪しいものではないと言ってくださいと言う。
お久米が私の方から言っておくからこちらへと連れて行こうとすると一人の酔った男が、怪しくなければなぜ逃げると言うと額を畳につけて涙声になって詫びるが益々疑われみんなでなじる。
気の毒とみた知事は許してやれ、というのでお久米が連れて部屋から出たがそれを見た両親は何事か、と言うのでお久米が簡単に説明しまた座敷に戻る。
内海が按摩とお久米の様子はまるで歌舞伎座の演劇を見ているようだと言うので稲葉が、二人は何か事情があるのでしょう、と言うとお久米は、田舎者ですから演劇など何のことだか分かりません、としらを切る。
12時になるとみんな引き上げるが内海は寝ると言って立ち去る。
お久米は別の部屋で布団をひいている女中に何やら言ってその中に消えた。
お久米は内海の座敷から引き下がったあとすでに佐の市はいなかった。
どうしてあんなことをしたのか本人から聞きたかったが仕方なく母親に聞く。
母親が佐の市から聞いた話では治療後の例の騒がしい音がしたのでどんなものかと近づいたら障子を開けた女がいた。
バツが悪くなり思わずそっと物置に入ったということだった。
お前のお蔭だとくれぐれも礼を言うように言われたそうだ。