四方山な諸々027 | seusenhoferのブログ

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男性はセクハラ問題に疎いのか? という話。

正解は「疎い感じにしておきたい」だと思います。

最近の次官さんの問題を見ていても分かる通り、セクハラ問題に関しては公正さへの疑問すらも封殺され、
告発されたらアウト、という構図が有るんですね。

まぁ、これに似た問題にチカン冤罪問題が有るように思えるんですね。

大分前の話になりますが・・・、

電車内で鞄を網棚に置き、左手で吊り革を持ち、右手に本を持っていた状態にあった私は、
突然横の女性に左手首を掴まれまして・・・、
「やめてください!」
と言われた事が有るんですね。

この時はその女性が勘違いに気付いてくれまして事なきを得たのですが、
あのまま強硬に主張されていたら私の身はどうなっていたことやら・・・(^^;

正直、鞄を網棚、左手で吊り革、右手に本、という私のスタイルは、精一杯の「チカンしてません」アピールなんですが、
判例に従えば、何かの拍子に(私の場合は本のページをめくる時)左手が吊り革から離れていた場合、そのタイミングで誰かがその左手の動きを目撃していなければ、「チカンをした可能性」によって有罪になってしまう事も有り得るんですね(-_-;)

で・・・、

このチカンとセクハラ問題を同列にするのもどうか? という疑問も当然あるとは思いますが、

この二つの事象に共通しているのは「被害者の勇気」という考えなんですね。
ある程度は勇気を認め、二次被害への考慮も必要なんですが、それが公正さを担保しているワケではない事も考えなくてはいけないと思うんですね。

例えば、チカンを疑われた人が、線路上を逃走するなんて話がたまに有りますが・・・、
「悪いことをしていないなら、逃げる必要はない」なんて話は、ことチカンに関しては当てはまらないと言うのが現実として有るワケでして、
一瞬でもチカンを疑われた人なら分かると思いますが、チカン冤罪に対する恐怖ってかなりのモノなんですね。

本来なら、私への疑いが晴れた時点で被害者の女性に何か声を掛けてあげるべきだったのカモ知れない、とは後々思いましたけどね、
ハッキリ言って、疑われた瞬間においてはそんな余裕も有りませんでしたし、その女性に対して恐怖と怒りの感情が先行したのが正直なところなワケです。

まぁ、間違えてしまった時に相手からそんな風に思われるリスクがあるわけですから、被害者の勇気はそれとして認める必要は確かに有るワケで、
それはセクハラ問題でも同様だと思いはするんです。

ただ・・・、

その勇気については、間違いや勘違いだった際にフォローされるべき事であって、
是非の判断やその公正さに加味されるモノでは無いと思うんですよね。

ある意味、正義感旺盛な方々は、勇気ある行為は正しい行為である、とばかりにセクハラを非難するワケですが・・・、
何となく公正さに疑問を持つ人々はセクハラ問題自体に疎いふりをする。

下手に公正さを口にすれば共犯扱いされますからね、疎いふりをする分には「疎い!」と指摘されるだけで済みますから・・・(^^;