うはっ~!!!!
念願の長州旅行です![]()
ガイドブックだけは何年も前に買ったというのに、一度も行けてなかったのでメッサ嬉しい~![]()
朝
早くに出発し、東京駅から新幹線
で九州は小倉駅へ。
ブルーウェーブイン小倉に荷物を預けて、一路下関駅へ。
下関で、桜山神社に。ここは慶應元年に高杉達が最初の招魂社で、吉田松陰や入江九一・高杉晋作・久坂玄瑞・吉田稔麿・時山直八等約400柱が祀られてます。また、元治元年3月26日には都落ちした七卿のうち五卿が視察しているという事で、石段途中には七卿史跡碑もあります。
次は了円寺で、ここは元治元年の功山寺で決起した高杉達が、新地会所襲撃後に立て篭もった寺で、 本堂の柱には刀傷が残されているのですが、表から見ても解らなかったので、ダメ元でお寺の方に尋ねると、本堂に上げて頂いて柱の傷を見せて下さいました。ありがとうございます![]()
そこから歩いて厳島神社へ。ここは広島の厳島神社ではなく、平家一門が安芸の厳島神社の分霊を守護神として船中に祀っていたもので、壇之浦の合戦の後、磯辺に漂着していたのを、地元民が神のお告げにより発見し、文治元年(1185)に社殿を建立して祀ったのが始まりと伝えられています。また、高杉晋作等がここで奇兵隊を旗あげし、小倉戦争(四境戦争)で小倉城より奪った太鼓が、この厳島神社に奉納されています。
更に『萩藩新地会所跡』、そして『高杉晋作終焉の地』、『高杉晋作奇兵隊結成の地碑』(白石正一郎邸跡)を廻ってから、『みもすそ川公園』へ。
『みもすそ川公園』は、あの!!『壇ノ浦』です![]()
平家ファンとしては、めっちゃめっちゃ行きたかった念願の場所です![]()
二位尼の辞世の句 『今ぞ知る 身もすそ川の 御ながれ 波の下にも みやこありとは』から地名が付いた公園で、ここには平知盛像と、義経の八艘飛び像、『安徳帝入水之処碑』などがある平家ファン的にツボな場所。平知盛さんといえば、壇ノ浦の戦いで、「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」と言い残して入水したというお方で、平知章のパパですね
知章は知盛の長男で、一ノ谷時16歳。敵兵に囲まれたパパを庇って戦死し、知盛は「どんな親が息子を助けないで逃げるだろうか」と自分を責め、さまざめと泣いたといいます。泣ける話です
ああ、一ノ谷も行きたい…。
また、長州藩が馬関戦争の際に使用した砲台跡がレプリカ付であります。
真ん中の写真に移っているのが関門橋。その向こうに見える陸地が北九州市門司です。たったこの程度の距離で馬関戦争を戦っていたのかと思うと…。
もう十年以上の平家ファン(幕末歴より長いです)としては、是非とも行きたかった場所です!安徳帝廟(写真右上)があり、更に本殿脇には宝物殿、更にその裏には平家武将の墓が。大好きな平教経サマや資盛等の墓が!!!!うきゃぁ~!!!! (///∇//)
マイハニー教経サマは墓地の前列中央です。
そして、宝物殿には須磨寺にある敦盛の愛用の笛「小枝」こと『若葉の笛』の複製まで(///∇//)幸せ~![]()
そうそう、すぐ近くには耳なし芳一堂もあります。はぁはぁ~落ち着け自分![]()
『本陣 伊藤邸跡碑』へ。別に俊輔ではありません。この地の名士で、坂本龍馬などを支援した人物です。更に『亀山八幡宮』へ行き『亀山砲台跡』へ。ここもみもすそ川公園の砲台跡同様馬関戦争時の砲台跡です。
まあ、まったく四国連合艦隊の砲と、長州藩の大砲の威力は比べ物にならない代物で、ほとんど敵艦隊には届かず、ほとんどの砲台が制圧されたのでした。
最後に『大歳神社』に。ここは壇ノ浦の戦いの直前に義経が戦勝祈願をした神社で、更に高杉晋作等を陰で支えた豪商白石正一郎が攘夷必勝を祈念して、石鳥居を奉納した場所。今も石鳥居の裏には白石正一郎の名前を見る事が出来ます。ちなみに、石段上から宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島を見る事が出来ます。
今日は一日頑張って歩いたので、ふぐ専門店『やぶれかぶれ』へ。メチャメチャ美味しい~(///∇//) ふぐ刺、ふぐ唐揚げ、ふぐチリ、皮刺し、締め雑炊。初ふぐメッサうま~
お店を出た後、門司港に寄り道して、門司港のライトアップを見て歩きました。門司港ってこんな綺麗なトコとは知りませんでしたよ~。
帰りの電車、車内の椅子がカッコいい!!九州の電車って関東と違ってカッコいいのが多いですよね!関東の電車って基本的に機能的なのが優先だからデザインは面白みがないのばかり。他の列車も色々乗ってみたくなりますよね。









久しぶりのカラオケ楽しかった~![[みんな:03]](https://emoji.ameba.jp/img/user/sh/shibatyuu/703.gif)
に。













