現在、三重県桑名市の桑名市博物館で「幕末・会津・桑名 兄弟の戊辰戦争展」が6月30日迄やってます。
というコトで、行って来ました「桑名」![]()
土曜日の夜に家を出て、阿佐ヶ谷駅で尚白さんご夫婦と待ち合わせ。ご主人の運転
で途中常盤さんを拾って、一路桑名へ。
夜中の道路は凄い空いていて、順調に桑名に到着。だいぶ早く到着したので、長島の「オートレストラン長島」でゆっくり温泉に浸かり、デニーズで朝ごはん
夜が明けて来たので、近くの七里の渡しへ。前回行ったのとちょっと違う場所で、これで七里の渡し制覇です(笑)朝焼け
が綺麗です。
行動起こし始めて、次に行ったのは桑名の総鎮守「桑名宗社」(春日神社)
ここは一つの社殿に桑名神社(三崎大明神)と中臣神社(春日大明神)の二社からなる珍しい神社。
ここの奥様がとても優しい方で、色々お話しして頂きました。ご主人が桑名藩士不破右門の御子孫という事で、色々教えて頂きました![[みんな:12]](https://emoji.ameba.jp/img/user/da/database5500/11056.gif)
歩いて散策。近くの「歴史を語る公園」には、江戸の日本橋から京都の三条大橋迄の東海道のミニチュア版が作られていて、ほんの数分で日本橋~京都を往復しました(笑)富士山
登頂も試みたのですが、装備不十分で(笑)断念![[みんな:09]](https://emoji.ameba.jp/img/user/ok/okan-hitorigoto/14942.gif)
更に歩いて、前回も行った七里の渡し~九華公園へ。毎度のコトですが、定敬の忠魂碑と、森陳明の碑を見てから園内散策。今は菖蒲
の花が咲いていて綺麗でした。
既に博物館もオープンしたので、歩いて桑名市博物館
へ。
「幕末・会津・桑名 兄弟の戊辰戦争展」は何と入館無料!
なのに、凄い充実してて無料なのが信じられない!
そして、私達の中で一番ヒットしたのは、展示品には説明文が付けられて居るのですが、これの展示品目の脇に薄い文字で書かれた一言がツボに入りました(笑)
例えば、
手代木直右衛門の書の一言は
「ぼく、すぐえもん」
定敬と容保サマとの
「アンチャンとの…」
他にも「佐久間象山モデルです」とか「慶喜、将軍やめんだって」とか「定敬は17歳だから」とか。
説明内容にも、山岡鉄舟の解説にも「大河ドラマには出てこなそうですが、私の中のイメージは照英です」とか、危うく展示品見ないで説明文だけ読んてしまいそうでした![[みんな:01]](https://emoji.ameba.jp/img/user/so/soukou/6087.gif)
もう、静かにしないといけない博物館内で大爆笑でした(笑)是非この説明文見るだけでも面白いと思うので、行ける方は行ってみて下さい![[みんな:02]](https://emoji.ameba.jp/img/user/pi/pink---rose/34719.gif)
お昼
はまたも「はまぐりプラザ」ここは営業時間短いのですが、安くて凄く美味しい![[みんな:04]](https://emoji.ameba.jp/img/user/pi/pink---rose/34719.gif)
焼き立てのはまぐりは、身がふっくらしててプリップリで絶品![[みんな:05]](https://emoji.ameba.jp/img/user/da/database5500/11056.gif)
食後はついに墓巡りへ。
まず「光明寺」へ。ここには桑名藩士の町田老之丞武須計の墓があります。
町田老之丞は立見鑑三郎の兄で、神風隊の隊長として宇都宮・柏崎・会津と転戦。朝日山の戦いでは奮戦する。しかし、会津で定敬とはぐれ、庄内で降伏。その後、桑名藩大参事となり、桑名町初代町長となった人物。
墓の周りに碑文が刻まれているのですが、材質の問題か裏面ごっそり剥離してて残念![[みんな:06]](https://emoji.ameba.jp/img/user/s0/s0111012/2534.gif)
次に歩いて「法盛寺」の高木貞作の墓へ。高木貞作は、桑名藩家老の服部半蔵と酒井孫八郎の従兄弟。慶応4年時21歳。同年閏4月3日に、桑名藩家老であった吉村権左衛門を山脇隼太郎と共に越後柏崎で暗殺。 暗殺後は姿を隠し、高木は神戸四郎と変名し、衝鉾隊に入隊、会津で桑名軍に合流し、一旦庄内で降伏するが、 桑名へ戻れば暗殺した吉村家から仇討ちに逢うかも知れない事を案じ、山脇と共に僧侶の姿をして、箱館にいる定敬を訪ねる為脱走。 しかし箱館に着くものの、既に定敬は箱館を出た後で、 二人は新選組に属して、箱館戦争に参戦。 降伏後、東京へ護送され、身柄を桑名藩に引き渡された。その後、桑名には戻らず、明治3年渡米。帰国後は後森有礼等と共に、商法講習所(現、一橋大学)の創立に参加、その後は色々な銀行に勤め、昭和8年に歿。
そこから「十念寺」へ。ここには桑名藩士で戦争責任を負って自刃した森陳明の墓が。本堂裏手の墓地の入ってすぐのところに立派な墓があります。ここには更に桑名藩士で山崎八蔵の墓も。とは言っても墓石には八蔵のなまえは書かれてないのて、イマイチスッキリしない![]()
ちなみに、山崎八蔵は桑名藩士成瀬幾右衛門正直の長男として生まれ、本名は成瀬杢右衛門。京都所司代時代には、公用人も勤めた。上野の彰義隊の戦いにも参加し、敗走後外国船で塩釜に渡り、定敬と共に蝦夷地へ。箱館で新選組に入隊し、弁天台場で降伏しました。
その後、「顕本寺」に。ここには服部半蔵の子孫で、桑名藩士の服部正義の墓があります。ただ無縁仏状態で纏められてしまっているので、何とか残して欲しいものですが![]()
服部正義は21歳で桑名藩の家老となり、京都所司代時代には定敬の補佐として京都に駐在。鳥羽伏見の戦いでは桑名藩士を率いて参戦、柏崎で軍事総裁となり、その後転戦し9月庄内にて降伏。その後謹慎後は桑名藩の要職に就き、明治19年歿。
次は少し離れて「浄土寺」へ。ここには「本多忠勝」の墓があります。
あの徳川四天王やら、徳川十六神将やら、徳川三傑と言われた「本多忠勝」の墓だから、さぞや立派な寺に立派な墓なのだろうと期待していたら、まさかのひっそり感。何の案内も無く、墓地の奥に鎮座。
そして「善西寺」に。
ここでは桑名藩士関川代次郎の墓へ。関川代次郎は桑名藩が京都所司代を拝命した為、京都に駐在し、池田屋事件や禁門の変にも参加、慶応元年に飛び地の柏崎に赴任するが、北越戦争に巻き込まれ、土地勘がある為藩主のお供方として藩主定敬を護り会津へも同行するが途中はぐれ仙台で合流、蝦夷地へ行く事となったが、榎本に藩主の同行は3名迄と制限された為、新選組に入隊し蝦夷地へ行く。函館で降伏し謹慎の後、桑名へ送還。後、警視庁へ入り、西南戦争では警視隊で斎藤一等と共に参加。その後は三重県尾鷲警察署の巡査として勤めた人物。
ここの墓も代次郎の名前は刻まれて無いのでスッキリしない
最後に桑名藩主松平家菩提寺の「照源寺」へ。
ここも前回行ってるのでざっくりと。寛政の改革や、白河楽翁で有名な松平定信の墓もあります。
江戸への長旅の前に一服という事で、桑名宗社脇の「しろざけや茂三郎」
でかき氷
。ここはかき氷
が有名なお店の様で、氷がふわふわ
しかもすぐ口の中で溶けて無くなる
全然頭も痛くならないし!絶品
しかも激安です!
私はイチゴ
味にしました。…がついうっかり写真撮らずに完食しちゃったので、せめてアイスモナカ抹茶味をば。
そして、ガソリン注入したので、一路江戸路へ
。途中新東名の沼津SAで休憩兼ねて夕食。
初めて新東名のSA来たのですが、凄い!まるでお城
みたい!!トイレも凄くて写真撮りたかったけど変態さんになりかねないので自制![]()
夕食はフードコート内で「沼津ぶっかけうどん」に。桜海老としらすと黒はんぺんが入ってるのです!…が、食欲に負けて写真撮る前に完食(>人<;)
その後、2階のテラスへ。テラスからは夜景
が見えます。
また、リサとガスパールのカフェなどもあります。めっちゃ可愛い
![[みんな:14]](https://emoji.ameba.jp/img/user/da/database5500/11056.gif)


