ついに最終日です泣く

朝、ホテルをチェックアウトして小倉駅ホームの「かしわうどんほかほかで朝食。。鶏肉のだしを使い、 鶏肉のそぼろをうどんの上に散らしたうどんです。若干うどんは茹で過ぎ感はあるものの、おつゆとかしわが美味しいd.heart*
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行橋で平成筑豊鉄道に乗り換えて「豊津駅」下車。そこからタクシータクシーで、今回のメインイベントその2!『郡長正墓』お墓ハート場所は甲塚墓地。

墓地に行くと「斗南藩 郡長正墓」と立派な案内が建っていてすぐに解ります。


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郡長正は、会津藩士家老萱野権兵衛の二男で、長男は萱野姓を継ぎ、二男である長正は郡姓を、三男は寛四郎。明治3年に他の会津藩士子弟7名と豊津藩育徳館へ留学。翌年の明治4年5月1日に自刃しているが、諸説あるものの、食事の貧しさを母親に訴えた手紙を見られて恥じて自刃というのは創作である可能性が高い。(郵便制度ポスト。が全国で始まったのは明治5年)

更に、その近くにある秋月藩士の墓お墓へ。秋月の乱での戦死者17名の墓です。明治9年10/27、秋月藩士二百余名は肥後の神風連に呼応する為挙兵。豊津藩士に同調を求め、萩の前原一誠と合流する為29日に豊津に入るも、期待に反し豊津藩士が新政府軍に協力した為、秋月藩士は劣勢となり戦死者17名を出して撤退した戦い。
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そこから、旧豊津藩校育徳館で現在の『福岡県立育徳館高校』学校へ。

この高校の校門脇には、「思永館」という木造の建物が。明治初期の洋館建築で福岡県文化財。かつての講堂。御厚意で講堂内を見せて頂きました。そして、そのすぐ脇に、会津若松市より贈られた郡長正の先祖の墓の土台石と会津鶴ヶ城本丸の茶室の庭石が『郡長正記念庭園』としてひっそりあります。

また、郡長正記念庭園の裏側には「黒門」が。黒門は明治3年に藩校育徳館の正門として建立されたもので、きっと郡長正達もこの門を潜ったに違いないでしょう音符
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最後の締めに「福聚寺」へ。

福聚寺は小倉藩小笠原家の菩提寺お墓。ここも珍しい黄檗宗。めったに観光客が居ないのか、お寺の方が小笠原家墓地の鍵カギを託してくれてビックリゆっくり見れました。


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最後に昼食ごはん兼土産購入の為、下関の唐戸市場のカモンワーフへ。

当初予定していた店が残念ながらお休みという事で、カモンワーフ内の「奇兵隊」という店へ。私はふぐ刺し丼。
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