さて、ところ変われば文化も変わる訳で、今回は江戸期の庄内藩士の婚姻について。

庄内藩では、長男は士分から嫁取りしますが、長男以外は正式に「室」と称して娘を嫁取りする事は出来ず、御給人以外の家から娶って「妾」と称する決まりで、もし長男に子供が居なくて跡継ぎになってもダメ。

具体的には、

私のマイラバ~ハートの玄蕃サマパパの「酒井玄蕃了明」は二男なので、奥さんの「お市の方」は田川郡渡前村大字大川渡(現在の鶴岡市藤島)の農家成沢又左衛門の孫女で、同村の医師大野貞哉の養女となり、了明の妾となったのです。(なので、玄蕃サマのママは農民の出です)お兄ちゃんの右京さんに跡継ぎが居ない為に右京さんの養子として跡継ぎになっても、それは変わりません。

逆に言えば、玄蕃サマが名家の生まれだありながら下々の者であっても分け隔て無く優しく接する事が出来るのはその為かもしれないですねハート②


ちなみに、このお市の方、幼い時から聡明美貌、能書で和歌を善くし、嫁いでからは、良妻賢母の誉れ高く、立派に3人の息子を育て上げたのです。
しかし、慶応3年8月30日に僅か42歳にて没する。法号は常照院俊誉心光大師。