午前中はまったりとサイトの更新。ここ最近、更新しながら、そういえば、あんなトコも行ったなぁ~とかしみじみ[E:catface]
昼ご飯[E:restaurant]は近所の蕎麦処「ほりた」で「彩り藤うどん」[E:note]
午後は少し片付けした後、図書館に本を返す用事があったので、ついでに前から気になっていた市内にある「最勝院」に「春日部重行」の墓を探しに。
大概の方が「春日部重行」は誰??な感じだと思うのですが、名前で解る通り、我が春日部市の由来となった人物です。
寺に入って左側の墓域に鳥居があって、その奥に大きな椎の木があって、そこが春日部重行氏の墓でした。ミニだけど久しぶりの史跡巡り[E:shoe]。もうちょっと外に出て史跡巡りを頑張ろうって思った次第。
そこから図書館[E:book]に行って本を返し、新たに借りたついでに、春日部氏について調べる事に。
…が、春日部市史を読んで[E:book]も、結局ポイントポイントのみで、繋がりが解らない。何せ春日部の領地を中心に書いているだけだから、戦いに敗れた後がどうなったとか解らない…[E:sweat02]特に春日部氏と会津の繋がりについては書いてない…[E:sweat02]本当に使えない…が、解った事だけ。
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春日部氏は、御家人紀姓大井氏の一族で、鎌倉時代には、宝治元年6月の宝治合戦で、春日部氏は三浦氏に与して春日部実景・息子息太郎、次郎、三郎が頼朝法華堂で自害。これにより春日部氏嫡流は没落。
鎌倉幕府が滅亡し、建武政権が成立すると、後醍醐天皇は、春日部重行(※春日部実景との関係は不明)に上総国山辺南部、下総国下河辺荘春日部郷地頭職の知行を命じた綸旨を出している。
春日部重行は建武政権の武者所番衆となり延元元年(1336)6月30日の洛中合戦で討死したと伝えられている。(※洛中合戦⇒足利尊氏と新田義貞の戦いで、春日部重行は後醍醐軍に参陣し数々の功名を立てている。)
重行は、京都修学院鷺の森にて自刃したといわれ、息子左近蔵人家縄は父の遺骨を春日部の最勝院に葬り吉野朝に仕えたという。
南北朝時代に入ると、南朝方に与した春日部氏一族と思われる春日部判官高貞は足利尊氏・義詮父子と、足利直冬※の戦いで、伊賀国に於いて文和4年(1355)5月21日討死。この春日部判官高貞と春日部重行との関係は不明。(※足利直冬⇒足利尊氏の庶子で、尊氏の弟足利直義の養子となった)
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そして、夕方から久しぶりに春バドにバドミントン[E:tennis]しに上沖小学校に行ってきました[E:sign01]ここ最近平日のバドは1時間程度しか練習出来ないので、今日は17時~21時までと4時間[E:sign01] 久しぶりの長時間の運動にへたり気味ながら、8時半であと少し…っていう時に、試合中「グキッ」[E:thunder]って…捻挫(?)しました[E:crying] 皆が心配してくれて、アイスノンで患部冷やしてリタイアです…。それより、今週末の旅行[E:train]とスノボ[E:snowboard]…行けるのか???