朝7時45分に仙台駅で竹さんとKOKOさんと待ち合わせをして、一路庄内(鶴岡)へ。
仙台駅でポツリポツリ降り始めた雨[E:rain]は途中から本格的な降り[E:rain]に。
鶴岡ICを降りてから専念寺の「桑名藩主名義士の墓」へ。数年ぶりでしたが、ギリギリ覚えてました(苦笑)一安心。
そこから、湯田川温泉の「新徴組本部跡」と「新徴組墓所」へ。新撰組は浪士組から分かれて会津藩預かりとなりましたが、新徴組も浪士組を元に江戸取締りであった庄内藩の預かりとなった隊。慶応4年3月に家族と共に庄内に移住、その際に藩が用意したのが、この湯田川温泉の地。そして墓所は戊辰戦争で戦死した隊士や家族の墓が20基。
更に移動して「井岡寺」へ。この井岡寺は一千年以上の歴史ある寺で、墓地内には大物庄内藩士の墓が多く残っていて、幕末の家老「菅実秀墓」や、「竹内右膳墓」、「白井矢太夫墓」などがあります。
ちょうどお昼時なので、鶴岡中心部に行き「致道博物館」
入口にある「三昧庵」で庄内名物「麦きり」を食しました。「麦きり」は「ざるうどん」の事。暑い夏[E:sun]にはさっぱりして美味しいです[E:happy01]
食後、致道博物館からすぐ近くの「大督寺」へ。ここは庄内藩主酒井氏の菩提寺(非公開)でもある由緒ある寺で、ここも大物藩士が多く葬られていて、「酒井吉之丞遺髪塔」や、酒井吉之丞弟で庄内柿生みの親「酒井調良墓」、家老で第一大隊大体長「松平甚三郎墓」、家老で戊辰中は総帥でもあった「松平権十郎墓」、他に「長沢惟和墓」「酒井奥之助墓」等々があります。
大督寺からすぐの「安国寺」へ。ここにも多くの藩士が葬られていてアツシ判官として有名な「松本十郎墓」や丁卯の大獄で処刑された酒井吉之丞の叔父「酒井右京墓」、酒井吉之丞の義兄でもある「中村七郎右衛門墓」等があります。
更に、すぐ近くの「禅源寺」へ。ここには酒井吉之丞の弟で書家として大成した「黒崎研堂墓」と庄内藩の支藩で松山藩家老で戊辰戦争では松山隊を率いて奮戦した「松森胤保墓」へ。
更に、またすぐ近くの「総穏寺」では、「宮坂顕蔵墓」を探す。…う~ん…よく解らず。
そして「極楽寺」に行き松本舎人の墓を探すも、見つからずお寺に聞いても「松本」という墓が無いとのこと…。やっぱり罪人として葬られたから墓石が作られなかったのか、それとも昔に改装したとか?無縁になったとか??
仕方なく断念して「常念寺」へ。ここに来るまでに少し迷う…。ここには「戊辰戦死招魂碑」と「戊辰之役官軍墓」がある。「戊辰戦死招魂碑」は松本十郎が建立したモノである事が石碑に刻まれていてシミジミ。
「萬福寺」では、庄内藩戊辰史を調べる上で外せない「戊辰庄内戦争録」筆者「和田東蔵墓」がある。そして、「光明寺」では中老「水野藤弥墓」、「本鏡寺」では「石川猪太夫墓」を探すも、石川家墓がいくつもあってどれかが特定出来ず…[E:weep]。更に「金浄寺」では「俣野市郎右衛門墓」を探すも、俣野家墓はあるものの、市郎右衛門の墓が解らず…(後で調べた所によると、どうも多磨霊園にありそう[E:sweat01]…改葬したのか???やはり多磨霊園行かなければ…)
そして「長円寺」の「新発田藩士墓」へ行き、「高運寺」の「神戸善十郎墓」へ行ったら、…「墓が無い!」びっくりです。お寺に聞いたらどうやら改葬したらしい。残念。「正覚寺」では丁卯の大獄で断罪された「大山庄太夫墓」へ。
そこから、ちょっと離れた「林高院」へ。ここには「三烈士墓」がある。三烈士とは、旧幕臣で各地を転戦したのち、この庄内藩へ来たが既に庄内藩は降伏後で、三人はこの林高院でかくまわれたが、反抗を続け、新政府軍の聞こえる所となり、雲州軍によって処刑されたのである。
本日の宿は新しく出来たばかりの鶴岡駅前にある「ルートイン鶴岡駅前」
外はかなりの豪雨[E:rain]で、夕食を食べに外に行くのも面倒だったので、ホテル内の食事処で楽しい夕食[E:restaurant]。