眠い目をこすりつつ、朝8時にホテルの中にあるレストランで集合して朝食。
その後、みんな昨日遅かった為一旦再度仮眠してから11時にチェックアウトという事になったので、私はその隙に、こっそりホテル近くの史跡巡りへ。
ホテルから徒歩5分程度の所にある、本伝寺。
ここには、新撰組の谷三十郎の墓がある。そう広くないハズの墓地の中なのに、中々見つからずウロウロ探して、やっと発見。
本来の目的はこれだけだったハズなのだが、地図を見ててすぐ近くの太融寺に淀君の墓があるのを知って、折角だから足を延ばしてお参りに。
そして、ホテルに戻ってから、皆行きたい処に行くため自由行動で、私は4人と一緒に大阪城へ。『大阪城』といえば、鳥羽伏見の戦いで東軍の本営になって、慶喜や容保サマ等が詰めていた場所。何か幕末の戊辰戦争関係ないかなぁvvとウキウキして行ったら…豊臣秀吉祭りでした(TwT。)当たり前か…。
でも、結構面白かったです(戊辰関係ないけど…)
そこから、他の4人は水上バスに乗るというので、私は別行動で史跡めぐりに。
京橋口から出て、歩いて『八軒家船着場跡』へ。ここは元々船着場だった場所で、慶喜が東歸の際にこの八軒家より船に乗って開陽丸に乗り、また敗兵達が大阪を脱出する際には、負傷兵をここより舟に乗せて船に乗船させた場所。
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『隊員各銃を肩にしたる上に戸板に負傷者を臥さしめたるを掲げ八軒屋に送り出す。』(会津藩大砲隊戊辰戦記より)
『八軒に送りたる傷者を汽船に移さんとするに~』(会津戊辰戦史より)
『此夜亥の刻、密に大阪城を出で、八軒屋より苫船に乗じ』(七年史より)
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この碑が建立されている「永田昆布店」の店頭には、この八軒家の歴史を綴った小冊子が置かれていて、それによると、平安の頃、北面の武者遠藤盛遠が、袈裟御前を見初めたのも、南北朝の頃楠正行が溺れる敵兵を助けて衣類を与えて送り返したのもここであったという。
さらに、すぐ側の天満橋駅より谷町線に乗って天王寺駅で下車…の予定が、うっかり折り過ごして「四天王寺前夕陽ヶ丘」迄行ってしまったので、戻るのも面倒だったので、ここから歩くことに。延々歩くと「一心寺」がでっかく聳えていました。
噂では色々聞いてましたが…本当に凄い派手な寺です…。ここには鳥羽伏見の戦いで戦死した会津藩士の墓があります。
『解りやすい良い場所にある』と聞いていたのですが、全然見つからず、諦めかけた頃、関ヶ原の戦いで戦死した本田忠朝の墓の裏手に並んでいるのを発見o(≧▽≦o)
念願の白井五郎太夫や小池勝吉の墓にもお参り出来ました。良かった☆
折角だから、ついでに寺の向かいにある、『真田幸村戦死の地』へ。
でも、出発が遅かった事や迷ったりしたのもあって、時間切れで橋本は次回に…。
とりあえず、京都でお茶組の2人で5時に京都駅で待ち合わせしていたので、慌てて天王寺駅から御堂筋線で梅田駅に戻り、東海道線で京都駅へ。
無事2人とも合流出来て、新幹線の帰りの指定も無事すぐ取れて一安心vv会社や家族へのお土産だけ購入して帰途へ。