20070503_1 但木土佐の墓は、元々江戸で処刑された為、坂英力と共に東京品川東禅寺にあったものを、平成に入ってから坂英力と共に国元宮城の但木家領地であった大和町に改葬されたもの。大和町のお殿様のわりに、墓地の一番奥隅っこになってたました。
また本堂脇には但木土佐の顕彰碑なども建立されていました。



20070503_2 大窪城の本丸跡からの眺めは爽快でよいところでしたが、大松沢掃部輔の墓は合葬されていたようで、残念ながら墓碑銘には名前を発見できませんでした。

20070503_3 松山町にある満徳寺では松山隊碑の戊辰の碑を見てきました。
松山隊は、特に相馬口の激戦で奮戦、討たれたり、海に身を投げて亡くなりで多くの犠牲者を出した隊です。



松本要人の墓、無縁仏の裏にあって、ちょっと解り辛い。どうやらロンドンで亡くなったようです。詳しい事があまり仙台藩士は資料が少なくてわからないので、ちょっと調べてみたいなぁとか。



20070503_4 金成町の姉歯武之進は、新政府軍参謀である長州の世良修蔵を襲撃し、5月1日の白河城攻防戦にて戦死した人物で、行く前はまあ他の諸藩士の墓と同じで寂れた感じだろうと思ったら、大間違いで、入り口直ぐ右の所に一段高く姉歯武之進と一緒に戦死した二人の家臣の墓、そして姉歯の顕彰碑と略歴を刻んだ石板が立派に建立されていました。
あれは本当に嬉しかったですね~。会津でも、仙台の家老レベルでもアレほどきちっと整備されて顕彰された墓は見ないですね~o(^-^ o )
その後、偶然大林寺に、伊藤博文をハルピンで暗殺した安重根の碑がある事をしり、行ってみた。安重根が監守であった千葉十七に処刑直前に書き残した「為國獻身軍人本分(国のために身を捧げるは軍人の本分なり)」の遺墨が刻まれた大きな碑でした。