20080510_1 今日は会社の友達と銀座でPM2:30から料理教室だったので、折角だから銀座へ日比谷線ではなく、浅草経由で銀座線で行こうと思い立つ。雨[E:rain] が降っていようとなんのその。10時頃の浅草行きの列車[E:bus]に乗って一路浅草へ。


浅草では、第一の目的の「浅草寺」へ。前回貰いそびれた御朱印を無事頂く[E:note]浅草寺はやっぱり外国の方が多いですね~[E:gawk] そこから、直ぐ脇の「浅草神社」でも御朱印を頂き、更にその脇にある「被官稲荷神社」へ。ここは無名ながら、あの「新門辰五郎」縁の神社。新門辰五郎は徳川慶喜や勝海舟の懐刀ともいえる、浅草に縁の深い人物で、安政元年、新門辰五郎の妻が重病で床に伏したとき、山城の伏見稲荷神社に祈願したところ、病気が全快。同二年、町の人お礼として、伏見稲荷神社から祭神御分身を当地に勧請したのがこの被官稲荷神社だそう。


20080510_2 そこから第二の目的地「今戸神社」へ。
今戸神社は、新撰組の副長助勤、一番隊組長だった『沖田総司終焉の地碑』がある事で一部では有名なお寺さん。


で、この今戸神社は松本良順が仮寓居とし沖田はここで治療に専念していたと謂れ、この地に終焉の地碑が建立されたのであるが、現在では「千駄ヶ谷の植木屋の平五郎宅の納戸であった」とするのが通説である…が、とりあえず、ここに居た可能性も高いのでやっぱり行っておく…。でも実は初参拝。そして、この今戸神社でも御朱印を頂く。


その後、今戸といえば、会津藩士永岡久茂の葬所が今戸の称福寺であったと思い至り、調べてみると直ぐ近くなので、そこまで足を延ばす。
ただ、永岡久茂の墓石は作家の綱淵氏や会津の研究者牧野登氏が探しても無かったというので、思案橋事件の首謀者という事もあって、最初から建立されなかったのかもしれない。その1年前に川崎尚之助が埋葬されているというが、これも墓石については言及されてないので、墓石はないのかも…。とりあえず、現在としては会津藩を偲ぶものは無いという事デス[E:crying]


気が付けば、既に1時過ぎ。お昼ご飯[E:restaurant]も食べてないので、本当は折角浅草に来たのだから有名な天丼でも食べて行きたかったのですが、そんな時間も無く、浅草駅へ戻る途中の博多とんこつラーメン店[E:noodle]で昼食。


20080510_3 銀座駅から教室まで以外に遠くて、授業開始にギリギリセーフ。この教室は、普段の教室とは違っていて、作る作業中先生は側につかず、全て生徒だけでレシピを見ながら調理する(つまり、自宅で作るのとある程度同じ環境)四苦八苦しながら、今回のメニュー「トンポーロー」「マンゴープリン」を完成させる。しかも、ここは出来上がった料理は教室で食べずテイクアウト。って事で見栄えが悪いですが[E:sweat01]、家に帰ると原型を留めてなさそうなので[E:sweat01]


作り終わってから、友人と別れて明日の「母の日」用プレゼントを探して銀座をブラブラ。結局何にしようか迷った挙句、これから夏になるのでカゴバックにしました[E:heart01]