こんにちは、ひよこです


私が高校卒業まで過ごした、故郷 栃尾


先日、岐阜金華山へ上り、改めて

岐阜の街がスケールこそ違えど、

栃尾の町によく似ていことに気づかされて、

もう少し自分の故郷のことを見直そう!と、

改心しました指差し


幼い頃から通学でも、当たり前のように

町中にあった 雁木(がんぎ)

これは栃尾だけにあるわけではなく、

雪国には多く見かける

新潟県では、上越市高田が総延長では日本一

他に青森県や秋田県ではこみせ

呼ばれている


栃尾の雁木の総延長は約4キロちょっとで、

日本で3位と言われているようだ




今まで雁木は、歩道に屋根を付けた

アーケードだと思っていた


そうではなくて、私有地の道路側を

歩道として屋根を付けたもののようだ


キメてるひよこさん、こんなことも

知らなかったの? 

自分の故郷に失礼でしょ!




こんなふうに雁木の上部には曇りガラスが

はめてある




町の至る所に、雁木にまつわる

説明書きがあった


古い雁木には、上の方にガラスが

はめ込んであるものがあります。

『明かりとり』の窓です。

積み上がった道路の雪が雁木の屋根を

越えると、中は真っ暗になります。

屋根との隙間から入る、わずかな光を

取り入れるための工夫なのです。




雁木の途中にこんな場所があった




武者隠し




城下町特有のもので、敵の侵入、勢いを

そぐためにクランク状(カギ状)にして

作られたもの




栃尾にはこんなクランクの雁木が5箇所

あるということだが、町中を歩いてみて

ここしか、わからなかった


町が発展するにつれて、使いづらい

クランク状の道路は月日とともに

姿を消して行ったようだ


雁木の上を眺めると、面白いものを発見する


ひらめき懐かしいわ!

雁木の右上に木で出来た、階段のような

板のようなものがあるでしょ

あれは屋根の雪下ろしの時に、雪を板に

置いて家から遠くに捨てるための板よ


真顔あの板がないと、家は雪の中に埋まって

しまってどうにもならなくなるのよ




真顔確かに、真っ直ぐな道路より

ジグザグの道路の方が、

敵は侵攻しづらいわね


ちょっと不満でも、こんな町の遺構が、かろうじて

残っていたなんてよかったわ


キメてるひよこさん、このすぐ近くに確か

友達の家があって、よく遊びに

来ていたんじゃないの?

全然気がつかなかったのね




栃尾に2件ある酒蔵の一つ


越銘醸


ここは、もともと本陣となっていた

お屋敷のようだ




よくわからないけど、戊辰戦争で

西軍、幕府軍、の両方の本陣になった……

と、書いてある


不安両方の軍の本陣になることなんてあるの?




越銘醸さんの前も、素敵な雁木が


私財を投げ打って、私有地を

みんなのために提供しているなんて

なかなかできることではないわね




越銘醸さんは、

越の川

越の鶴

こんな日本酒を造っています


ひらめきちなみにもう1件は、全国的にも

有名な景虎を造っている

諸橋酒造

景虎とは、上杉謙信を名乗る前の名前

長尾景虎


ニコニコ栃尾では、圧倒的に越銘醸さんの

日本酒の方が人気があるのよ




この古い建物は、味噌、しょうゆ、甘酒、

などを作っている

三崎屋醸造




甘酒を新潟県で、先駆けて販売したのが

この 三崎屋


真顔買い物したかったのに、日曜日は

定休日だったわ




ここにもありました


栃尾の雁木を正面から見ると、軒の庇が

大きく張り出したものだとわかります。

これを『落とし込み雁木』といいます。

家が建てられた後に作られたため、

このような形になっているのです。




栃尾の中心街には、ほとんどと

言っていいほど路地に名前がつけられている


そして、各路地にはこのように通り名や

どこへ通じる道なのかが、わかるように

粋な標識が設置されている




この標識の裏に、名前の由来が

説明書きされている




火留小路

ニコニコ名前を見ただけで、火事を防ぐような
そんな想像ができるわね



ここは10番目だ


雁木通りの始まりは、今から三百年程前、

大町付近の役所街十数件のね並びです。

それから百五十年です役所街全体が

雁木通りとなり、谷地の商店でも雁木が

採用されます。総延長四キロにもおよぶ

雁木通りができあがったのは、谷地通りを

中心に五百件以上の商店が軒を連ねていた、

明治の頃といわれています。




雁木だけではなく、屋号を

いろんな形で表札のようにして

表に出している家もあった


ひらめき奥会津の宮下地区にそっくりだわ



キメてるでも、これは昔からあるものではなくて

雁木プロジェクトで大学生が来た時に

余った木材で作ってくれたものらしいわよ



奥会津宮下地区の各家に掲げられた屋号




これは新潟大学の学生さんが

設計から関わった近年に作られた雁木


ひらめき町おこしに一役かってくれたのね




この呉服屋さんの建物も歴史を感じるわ




町の商工会の建物の中に、

こんなものが展示してあった




これは鉄道があった時の栃尾駅


建物にEKKと書いてある


これは田中角栄さんの

越後交通(株)




これが本当にあったことなど、誰が

信じるだろう?


家はもちろん二階建てですよ




一晩に1Mも積もる豪雪地帯、両脇は家、

屋根の雪は道路に出すしかありません。

積もればすぐに除雪されるのは近年のこと。

かつてはその雪がうづ高く積み上がり、

道路は雪山となっていました。

雁木のおかげで、人々は楽に

歩き回ることができたのです。




私も幼少期のは頃、電線を跨いで

学校入った記憶がある


キメてるひよこさん、大正生まれじゃない

でしょうね?




まったく、車なんて役には立たないわね


キメてるこれじゃあ、犬ソリ🛷も

役には立たないわ


こんな時に大地震が来たら!と思うと

ゾッとする


ニコニコ今は、除雪車、消雪パイプ、のおかげで

雁木が昔ほど必要とされていないのかも

しれないけど、雁木がなかったら学生も

風雪に耐えながら通学しなくてはならない



除雪車


消雪パイプ


ひらめきそれに、雁木が個人のものだったなんて

本当にありがたいわ


真顔新しく家を建てる人は、雁木も新たに

作らなくちゃならないわけでしょ!

市から補助とかないのかしら?

私の実家は郊外にあるから雁木はないけど

織物が衰退したこの町で、

本当に大変だと思う


次は食べ物を片っ端から食べてみよう❗️


懐かしいわ〜 水羊羹


昨年2月の栃尾


続く