1968/04/30に生を受けて


小学校4年から野球を始めた


父親に青いグラブを渡され


いきなり草野球でライトを守らせられたね。


それが最初。


高学年でソフトボールにハマる。


初めて投手をやったものの


確か5者連続ストレートのフォアボール。


マウンドで号泣したなぁ。


当時のプロ野球に魅せられ夢中になっていく。


中学で本格的に野球を始めて


投手の面白さもこの時知った。


その後高校入学。


野球の名門と言われる古豪松山商業入学するも


贔屓目に見ても真面目な生徒ではなかったな。


それでも仲間に恵まれ、甲子園出場!


補欠ながらもマウンドに上り


素晴らしい経験が出来たのは言うまでもない、


この時に野球熱が爆上がりしたよな。


大学でも野球を続け少しばかり自信も付いた.


上のレベルにチャレンジしたい

 

その思いが募りプロ野球選手に。


その後13年投手として多くの経験が出来た。


引退後は各地で多くの野球人と交流も出来た。


野球への情熱が人生の大半を占めているのは


言うまでもない。


キャッチボール。


交流のアイテムの一つ。


会話は無くてもキャッチボールで心が


通じあった気がしてた。


右手の指先から相手の胸へ


思いと共に繋げていく。


大袈裟かも知れないがこの指先こそが


私の魂である。


この指先こそが私の野球人生そのものだ。


実は大きな決断をしました。


感染症の影響により指先の壊疽が進行して


ままならない状況に。


結果、切断することに。。。。。


よりによって人差し指がそうなるとは。。。


ここ数年心臓の不調も相なって


入退院を繰り返し思うように体は万全ではない。


それでも回復してまた野球に携わる事が出き


いろんな人とキャッチボール出来ればとね。


今も強く思っているしそうありたいと願ってた。


その大事な指先を失う。


その決断をすることになるとわね。。。


色々医師の協力を得て模索はしたものの


残念な結果にはなった。


この手でこの指先からボールを投げる事は


出来ない。


魂を込めて投げ抜いた指先は戻らない。。。


そう考えると痛たまれない。


何千、何万球投げただろう。


このブログに記することで 


共に戦ってくれた事への感謝と


労われなかった懺悔を残しておく。


ぴっかり投法も終わりやね。。。


握手はできるよ。


でも驚かないでね。


健康こそが一番の財産。


些細な事も見逃さないように。。。


みんなかがや毛〜!


左投げやってみよかな。。。