考えあぐねてますが、男女が存在するというモノのことは、全体的には単純な問題ではないと直観はできるので、思考力があったとしてもいかんともしがたい考えるべきではない事柄なのだと愚考しています。繁殖する意味というはそれほどやさしいテーマではなく、昔から論議がつづいていることは不思議ではありません。だれしもが性別があることは普遍的なものなのか、は考えるべきでは無いのかどの分野から考えるべきかすら決まっていないのです。一方、我々は繁殖することを必然的に必要だと感じるでしょう。つがいになるということ、というのは結局もしかしたら虚構というのは大仰でしょうか。大体にして、超常的な何かが定まらないものであるということを感じさせている皆さんも考えるのではないですか。生物的な何かが本当の要素とするならばそれから切り分ける我々には無さそうに思えます。それならば、心の奥に従って男女の出会いを快楽としてみたとしてもアリでしょう。性別があることは人の心を豊かにするものと言うことかもしれません。別な形で考えれば、人間という完全ではない生き物はカップルになることが乏しければどうしていいかわからなくなるということは感覚的に判るような気がします。建設的に思考できるのか、は考えるべきでは無いのかは判別しずらいことですが、人はいい出会い手に入れることを得ようとして生きています。偶然ではなくそれが最も幸せであるように感じてやみません。