京都東山区に、所在する泉涌寺(せんにゅうじ)
比叡山延暦寺が山門、滋賀の三井寺が
寺門といわれるのに対して、泉涌寺は
みてら(御寺)と呼ばれる。
皇室との関係が深い寺院だから
このように、呼ばれるようになったそうである。
しばらく振りにここを、訪ねてみた。
東福寺近くの東大路通から
泉涌寺道をのぼりつめると
突き当りに、大門が見え、この寺の入り口になる。
左手に楊貴妃像の置かれるお堂があるが
とりあえず、先に進む。
前方に、この寺のメイン的存在の仏殿。
中には、運慶の作と伝えられる
釈迦仏、阿弥陀仏、弥勒仏が安置されている。
それぞれ、現在、過去、未来を表わすといわれる。
泉涌寺は、真言宗泉涌寺派の総本山。
平安時代に、弘法大師によって営まれた草庵が
始まりとされる。
建保6年(1218)に、中国の宋から修行をして帰国した月輪大師と呼ばれる
お坊さんが、現在の伽藍を開山。
その際に、仏殿右手前に泉が湧出したところから
泉涌寺の名がついたとされる。
仏殿の奥には舎利殿。
後水尾天皇によって御所から
移築された建物。天井いっぱいに描かれた
「雲龍図」は狩野山雪の作で
日光東照宮に対して、「西の鳴き龍」として
知られる。通常は非公開。
さらにその先に霊明殿。
歴代の天皇、皇后の、お位牌を祀っている場所である。
現在の建物は、明治天皇の意向によって
当時の宮内省が再建したという。
歴史をひもとくと。
京都の貴族が、武士政権の鎌倉幕府を
倒そうとした「承久の変」(1221年)。
これが失敗して、後鳥羽、土御門、順徳の
三人の上皇が配流される。
幕府の望むままに、後堀河天皇が即位。
次いで、その皇子の四条天皇がその後を継ぐ。
この両天皇は
幕府寄りだった。それが理由となって
四条天皇の崩御の際に
他の京都の諸寺院が葬送を引き受けないので
従来の例をやぶり、泉涌寺が引き受ける事になる。
四条天皇は、泉涌寺の東の月輪陵に葬られる。
この前例があった事から、歴代の天皇と孝明天皇の
御陵関係がここで、営まわれる事になる。
こうした結びつきが、皇室寺院といわれる機縁になる。
その証左に舎利殿の隣に、霊明殿があり
ここには、天智天皇以後、大正天皇、貞明皇后にいたる
134人の天皇、皇后のご位牌を安置しているといわれる。
境内で丁度、
菊の展示会が開かれ、季節を関じさせていた。
最後になったが、楊貴妃観音を見てみよう。
楊貴妃像が置かれているお堂前。
中に入ると~~。
楊貴妃は中国唐の時代の
玄宗皇帝の寵妃。いろんなエピソードに
満たされた女性という。
傾国の美女として、エジプトのクレオパトラと
よく比較される存在。
玄宗が楊貴妃亡き後に、麗姿をしのんで仏師に
彫らせたといわれる。750年余り前の、建長7年(1255年)に
泉涌寺の僧湛海が宋の王室から
請うて、持ち帰ったという。
以前は100年に一度しか、公開されなかったが
今は拝観が自由になっている。
写真撮影はダメな為、パンフから加工させてもらった。














