世情いろいろ -140ページ目

世情いろいろ

日々、思いついた事、感じた事を写真をまじえながら
記録していきます。そして季節性を取り入れながら。ジャンルは
多岐、多彩にと思っています。

 

 京都市内から東山方面に

向かう五条大橋。下は鴨川が流れる。

 

 最近、京の道(創元社刊)という

ちょっと、古い時代に出版された書籍を

読んでいて、興味あるくだりがあった。

 

 それは、今の五条大橋がかかる前の五条橋は

ひとつ北側にかかる松原橋が

本来の五条橋だったという記述があった。

 

この事は、知っている人も多いと思うが

 あえて記事にした。

 

 

 本の画像が少し縦に、大きすぎた。

 

五条大橋は、千本目の刀をめぐって、牛若丸と弁慶の出会いで

有名な話が残されている。

 

 平安時代はもとより、豊臣秀吉の時代までは

今の松原橋が五条橋だった。

 

 また、別の名前は「清水橋」とも呼ばれていたという。

その由来は清水寺にあるという。

今でも、市内から清水寺へ行く

 最短距離は松原橋を渡って

清水坂へたどるコースである。

 

 

 清水寺の舞台。

JR京都駅0番ホームに

掲げられているレリーフを参考にさせてもらった。

 

 むかしの五条橋(松原橋)は

たびたび、清水寺によって

かけ替えられていたそうである。

 

 その費用は、宗教への

寄付によって、資金を集めたという。

それは勧進という言葉で表現されている。

 

 さらに専門的には、それは「喜捨」ともいわれる。

 

こうしたところから、五条橋(松原橋)は

勧進橋の名前がついたという。

 

さらに、この橋の北にかかる

四条橋(四条大橋)も、勧進橋のひとつで

 古くは祇園橋と呼ばれていたそうである。

 

八坂神社と、四条大橋との関係が浮かび上がる。

 

 

 前方は南座、祇園石段下から

八坂神社に続く。

 

 話は戻るが、五条橋(松原橋)は

平安時代から鎌倉、室町の

時代では、橋が単に交通のための

 目的というより、清水寺への信仰に

支えられてきた側面が、大きかったそうである。