作庭と茶道の達人・小堀遠州 | 世情いろいろ

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日々、思いついた事、感じた事を写真をまじえながら
記録していきます。そして季節性を取り入れながら。ジャンルは
多岐、多彩にと思っています。

 

       小堀遠州の肖像画

 

小堀遠州といえば、京都の仙洞御所や二条城の庭園などを

手掛けたことで有名だが、茶道をはじめ絵画、和歌などにも

 素養のある人で、その幅は広い。また武将でもあった。

 

 

小堀遠州は、安土桃山時代から江戸時代初めにかけて

 活躍した人で、30歳で遠州(今の静岡県)に

遠江守として、任命されたことから遠州と呼ばれたが

 本名は政一。

 

豊臣家と徳川家に仕え

 当時、作事奉行として作庭に関わり

伏見奉行も勤めたという。

 


         備中松山城(岡山県高梁市)

 

 父の正次が、関ヶ原の合戦で

功をあげ、備中松山城をもらい受ける。

遠州はその跡を継ぐことになる。

 

 この高梁市に、頼久寺(臨済宗永源寺派)があり

遠州が造った庭が、今も残されている。

 

 

       頼久寺の門前

 

 

      頼久寺の庭

 

 遠州は二条城の庭園の改修にも

関わったといわれる。

 

 

    二条城の二の丸庭園。

 

二条城は、徳川家康が京都訪問の時の宿舎として

造られた。現在は、観光スポットとして人気が高いエリア。

 

 

       仙洞御所

 

遠州は、仙洞御所の他、南禅寺金地院の

方丈庭園も完成させている。

 

 

 金地院の庭

 

 

 

 

 

 これ以外に、桂離宮の造営にも

関わったとされる。

 

 

    桂離宮の庭

 

仙洞御所と桂離宮の庭の趣が

どこか、似通っているように思える。

 

 小堀遠州は古田織部に茶道を学び

遠州流の祖ともいわれる。

 

 そして、65歳の時に美の総決算といわれる

大徳寺の孤蓬庵の茶室、庭園を造っている。

 

遠州は今でいう美術家であり、芸術家の

 持ち主ともいえよう。

 

小堀遠州の美学は「きれい」、あるいは「きれい寂び」という

表現がされているそうである。