京都の舞踊 | 世情いろいろ

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日々、思いついた事、感じた事を写真をまじえながら
記録していきます。そして季節性を取り入れながら。ジャンルは
多岐、多彩にと思っています。

 

 京都の代名詞のような

鴨川の流れ。四条大橋の風景。

 

 日本の伝統行事を表現する

一つに舞踊がある。

 

 神話にアマテラスオオミカミが

立てこもった天の石屋戸(いわやど)の戸を

開くために、ヤオロズの神が相談した結果

 踊りを踊ることだった。

 

踊りを使って、開ける事につながったという。

 

 舞踊という言葉があるように

舞いと踊りは、ちょっと違うという見解がある。

 

 

 以前に、行われた京都・松尾大社の念仏踊りの一コマ。

 

踊りは「飛び上がる、はねあがる」のに対して

 舞いは、右足と左足が互いに違う方向に向く」といわれる。

踊りが動的,舞いは静的といわれる。

 

 そして、古い時代の京都の人たちは踊りが好きで、上手だったという。

四条おどり、六原おどり、烏丸踊り、上京衆おどりなど地名を

つけた踊りが多くあったという。

 

 このような、踊りが盂蘭盆会(うらぼんえ)に取り入れられたのが

「盆おどり」といわれる。

 

 

 踊りと、表裏一体にある「舞い」。

毎年、春に開かれる都をどり。

 祇園の歌舞練場で行われてきたが

最近は会場を南座に移している。耐震工事の為という。

 

 もっとも、今年は疫病の余波で

開催中止になっている。

 

 都をどりは明治の初めに

首都が東京に移り、京都がさびれていく

時の流れを防ぐ、景気振興の一環としての

 博覧会の、アトラクションがその始まりという。

 

アトラクションは、明治5年に

西本願寺、知恩院、建仁寺の3つの

寺院を会場にして行われた。

 

 都をどり、鴨川おどり、北野おどりなどが親しまれている。

これらの踊りは舞いである。

 

 踊りは、民衆の中で育てられたのに対して

舞いは、家元制度の中で育てられてきたという。

 

 

 戦国時代に、織田信長が

舞ったといわれる「幸若舞」はよく知られるところ。 

 

 舞いには、流派があり

京都のものは、「京舞」といわれる。

 京舞の流派は現在、井上流だけだそうである。

 

井上流の開祖の、井上八千代は

 江戸時代に皇室、公家へ稽古に行き

公家の近衛家の知遇を得て、八千代の名前を

贈られた。

 

 井上流の舞いは、特に高尚で優美といわれる。

 

幕末の頃、長州藩の桂小五郎らが

秘密の会合を開いていた時に

 新選組の近藤勇らに踏み込まれた。

桂の愛人(後に妻)、幾松はいち早く

桂らを、階下の穴倉に逃す。

 

 このあと、幾松はひとり部屋で

「京の四季」を口ずさみながら

 静かに舞いを舞っていた。

 

さすがの、近藤勇も言葉もなく

 立ち去ったといわれる。  

 

柔よく剛を制した一幕。

 

    ※ 記事参考「京都故事物語」(河出文庫)など