歴史の政治舞台裏を目撃・東寺の五重塔 | 世情いろいろ

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日々、思いついた事、感じた事を写真をまじえながら
記録していきます。そして季節性を取り入れながら。ジャンルは
多岐、多彩にと思っています。

 

 京都のシンボル的な建物の

東寺の五重塔。

 

 今はどちらかといえば、JR駅前の

JR京都タワーが幅を、利かせているように思う。

 

 

 かつては、在来線から東寺の五重塔が

よく望めたが、今は高層建築が出来て

新幹線の方が、見栄えがするようである。

 

 

 

 都が平安京に移されたのは

延暦十三年(794)。

その頃は、羅城門から朱雀大路が

 北に延び、内裏のある朱雀門に通じていた。

 

この羅城門をはさんで

 建てられたのが、東寺と西寺。

西寺は今はない。

 

 弘法大師(空海)の、東寺だけが現存し 

密教仏教の本家として、いろんな歴史の

舞台として、その姿を見てきた。

 

 

 

 東寺の境内。

 

 

 東寺の塔は、天災や人災で

何度も焼失し、再建されてきた。

 

 現在の五重塔は

寛永十八年(1641)から、21年をかけて

三代将軍徳川家光が再建。

 

 五重塔の誕生から、現在の建物までには

右大臣源顕房の娘の誕生、執権北条時貞の支援

それから、豊臣秀吉の再建など

 政変、天変地異が重なり、今日の五重塔があるわけである。

 

裏を返せば、五重塔は時の権力者の素顔、悩みや苦しみや喜びに接し

 政治の舞台裏を目撃した、ものを云わない歴史の証人である。

 

南北朝時代には、足利尊氏がここに本陣を置いた。

足利義満は東寺に仏舎利を納めた。

 

 織田信長、豊臣秀吉もここに

本陣を置いている。秀吉は五重塔の落慶法要をも営んでいる。

 

 このあたりのくだりは

作家五木寛之さんの著書「百寺巡礼」(第三巻京都1)を

 読んでいて、参考にさせてもらった。

 

さらに興味のあるのは

東寺の五重塔には、西行法師、平清盛、源頼朝、徳川家康、最後の将軍の

徳川慶喜さらには近藤勇、坂本龍馬も訪れているそうである。

 

ここまで来ると、京都の歴史が五重塔に刻みこまれていると

 いっても過言ではないといえよう。

 

 

 東寺といえば、弘法さんの縁日。

6月も疫病で中止。7月の21日には

 再開したいといわれる。

 

東寺、五重塔に新しい歴史のページが加わる

 今日この頃。