京都御所に城が建設・秀吉の夢の後 | 世情いろいろ

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日々、思いついた事、感じた事を写真をまじえながら
記録していきます。そして季節性を取り入れながら。ジャンルは
多岐、多彩にと思っています。

 

 京都御所に秀吉の城が

造られていたいうニュースは

びっくりの限りだ。

 

 現在の御所の広さは

東西約250メートル、南北が450メートル。

 

このたび、発見された城の広さは

それ以上の規模とされる。

 

 

 京都で城といえば

信長が造った二条城、

家康の二条城があるが、信長の二条城は

なくなり、今は家康の二条城だけが残り、観光のスポットになっている。

 

秀吉がなぜ御所の近くに城を

建設したのか。朝廷との関係強化の手立てと

 考えられるが、いずれにしても現下のミステリーといえよう。

甥の秀次を追放し、実子の秀頼を

新城に迎え入れたといわれる。

 

 

 発見された城跡の石垣の現場。

 

防火水槽の建設の際に

 この遺跡が見つかったという。

 

 

 発掘で見つかった、豊臣家の家紋の五七桐の金箔瓦。

太閤さんの、ステータスがしのばれる。

 

 この京都新城は、慶長2(1597年)に造営されたと

資料に残されている。

 公家の山科家の日記「言経卿記」に

「太閤御屋敷」という記述があり

 今回の秀吉の城跡は、それを裏付けるものとされる。

 

天下を握った秀吉の城は

大阪城、伏見城、聚楽第に次ぐものといえよう。

 

秀吉の亡き後、秀頼は大坂城に移り

正室の北政所が住んでいたが

 それも関ヶ原の戦いが起きる直前に

取り壊されたという。

 

 

 秋の仙洞御所。

一般参観の際に見た光景。

 

この時は、秀吉の城は眼中になかった。

 コロナ騒ぎがなければ、「御所の城」の見学会が

開催されたという。