家康の遺訓・金地院の鶴亀の庭 | 世情いろいろ

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日々、思いついた事、感じた事を写真をまじえながら
記録していきます。そして季節性を取り入れながら。ジャンルは
多岐、多彩にと思っています。

 

 東照公とは、徳川家康のいわば尊称。

「人の一生は重荷を負て遠き道を行くが如し~~」は

 有名な言葉。

 

家康の性格、処世術を表わした文言でもある。

 天下を制覇した信長は性急、秀吉は巧妙のフレーズで

よく比較される。

 

 信長   〇してしまえほととぎす

 秀吉   鳴かせてみようほととぎす

 家康   鳴くまで待とうほととぎす

 

この遺訓は

 先頃、訪れた京都東山の、南禅寺塔頭である金地院((こんちいん)の

東照宮の前に掲げられていた。京都の東照宮です。

 

 

 京都・金地院の東照宮。

 

徳川家康に、近かった金地院崇伝という禅宗僧侶が

 金地院に住まいを構え、家康の遺訓として

 造営したといわれる。「黒衣の宰相」とも呼ばれ

実力の人であったらしい。

 

 崇伝は家康から、駿府に招かれ

幕閣の一員として武家、公家、寺院のそれぞれの

諸法度制定に尽くしたという。

 

 「大坂の役」を誘発して、豊臣政権を倒すきっかけになった

有名な方広寺鐘名事件を仕組んだのは、この崇伝といわれる。

 

 

 境内には鶴亀の庭がある。

寛永19年(1632)に、小堀遠州によって造られた

江戸時代初期の代表的な枯山水といわれる。

 

 

庭は方丈の前にあり

手前の白砂は宝船を象徴して

同時に海洋を表わすといわれる。

 

その先には、右に鶴島、左は亀島の石がある。

 めでたさを表わす、祝賀の庭ともいえよう。

 

 この鶴亀の石の真ん中に、東照宮の遥拝石が設けられている。

家康の威信を感じさせる庭園だが、国の名勝に指定されている。

 

 

 

 庭の反対側の方丈。

左手には。

 

 

 

 京都での威光を輝かせる

家康の心意気が伝わる。

 

信長が討たれ、秀吉が後を継ぐが

 家康がスタートさせた、長い江戸時代を

継続するには、秀吉というクッションが必要でもあったという。

 

 奇しくも、金地院には明智光秀の明智門が

今も、残され歴史の微妙さとその流れを感じさせる。