まだ書き残した紅葉。
もみじの盛んな頃に、京都北部にある高雄の神護寺を訪ねた。
広い境内の一角に、「明王堂」がある。
1本の満開のもみじの木の、後ろにたたずむ。
神護寺は弘法大師ゆかりの寺。
平安時代中期に「平将門の乱」が起こる。
その際に弘法大師が造ったとされる
明王堂の不動明王が
乱平定のため、関東に持ち出される。
平将門の乱は一時、関東を支配下に置いたといわれ
将門はその時に、新皇と称したとされる。しかし後に
平貞盛らによって平定される。
その後、これが機縁となって
神護寺明王堂の本尊が、成田山新勝寺の
建立に寄与することになる。
明王堂の扁額は、7代目市川團十郎の揮毫とされる。
7代目となるとまだ江戸時代。屋号は成田屋と呼ばれるそうである。
今の明王堂の扁額。
歴史をたぐっていくと
意外な面が、いろいろと現れ興味を覚える。
神護寺境内への楼門の前付近