冷え込んできたこの頃。
待望の紅葉のシーズンがやってきた。
高尾(雄)、槇尾、栂尾は有名な場所の呼び名の三尾。
場所が、先行して流れる清滝川の後ろ側にあるという意味合い。
♪ ~京都 栂尾 高山寺~
永六輔さんの有名な歌だが、最近はあまり聞かれない。
先日の秋晴れの日に、高山寺の隣にある
神護寺の紅葉を見に出かけた。
周山街道を走る、バス停留所を下車。山間部の坂を下ると
赤く染めた、もみじが迎えてくれる。
写真は清滝川の清流。赤い欄干上から、川の横手にもみじをめでる
事の出来る、レストハウスが見えてくる。
神護寺へは、坂ののぼりがきつい。
以前は、左手のコンクリートの側道がなかったように思えるが
用心のために、新しくできたのかもしれない。
石段を登り詰めると、神護寺の門前。
神護寺の出来た由来は古くさかのぼる。
平安京の造営の責任者だった、和気清麻呂がこの地に
国家安泰のために創建したのが始まりとされる。
初めの頃はこの神護寺に、比叡山にいた最澄や空海が入山し
平安仏教の中心的な役割を果たしたとされる。
平安時代には、二度にわたる災害のために
堂塔のほとんどを消失。
しかし、豪僧といわれた文覚上人がその荒廃を
嘆いて、1184年(寿永三年)に時の政権者だった
後白河法皇の許可を得たうえ
源頼朝の援助を得て往年以上の
復興をしたそうである。
ここでエピソード。
北面の武士だった、文覚上人は18歳の時に
源渡(みなもとのわたる)の妻の袈裟御前を
誤って亡き者にしてしまう。このことで
世の無常を感じ、出家して仏門に入ったとされる。
余談だが、当時は出家して仏門に入ると
治外法権的な世界に、入ることが出来たといわれる。
以前によく言わrた、「駆け込み寺」のはしりなのだろうか。![]()
境内のあちこちで、紅葉の木が見られて
ゆったりした気分になる。
金堂への長い石段。秋の日が、早くに陰って
その爛漫さが表現がしにくい。
石段と途中で、はやりの「ジデジ手法」でカメラ撮りの人が
目立った。
金堂の前はまだ、青いもみじが多くみられた。
神護寺には、多くの宝物があるといわれる。
国宝17点、重要文化財2833点を数えるという。
神護寺では、厄除けのかわら投げの
風習が残されている。
高い山の谷筋に投げ込む。
「秋のみじかい陽ざしのなかを、山をおりてくると
もう暗くなっている谷間では、まだ紅葉狩りと称する
宴が終わらないらしい。~道を急ぐと
ひとひらふたひらと紅葉が散りかかってくる」という
ある文章が目についた。
京都の秋は高雄さんから始まるという
コメントも印象的。![]()











