
テレビ報道への政府、与党の介入問題がかまびすしい。
かつて、23年ほど前にテレビ朝日の椿報道局長のいわゆる”椿発言”が
世論の論議を呼んだ。今はちょうど椿の花のシーズンだが。不謹慎か。(笑い)
テレビ朝日の当時の椿報道局長が、民放連の会合で
番組「ニュースステーション」に圧力をかけ続けてきた自民党守旧派は
許せない。さらに連立政権成立に力をかそうと発言。
これに対して、当時の郵政省幹部は電波法、放送法違反にもとずく
停波つまり放送をさせない措置を示唆。
椿局長は国会に喚問され、この件に関して陳謝したが
偏向報道はしていないと述べる。
現在も、NHKNの「クローズアップ」のやらせがらみや
報道ステーションのキャスターとゲストのやりとり等をめぐって
TV報道の在り様が論議されている。
そもそも報道機関は、権力の監視機能が身上。
なにもいちいち、時の政権に遠慮はいらないのが建前。
安倍政権以降、なぜかこの種の話題が付きまとう。
TVも新聞、雑誌もマスコミ。なぜTVだけが狙い打ちされるのか理解に苦しむ。
TVには放送法があるが、新聞などにはこの縛りがない。
同じ報道機関でありながら、新聞は俎上にあげられないのか。
このあたりに、マスコミ報道の回路が混線し、権力側にも
片側通行の思考が偏在しているようにも思える。
報道の中立性などはあり得ない。外国の報道規則にも
この項目は削除されている。報道の中立性などはあり得ない事柄だからだ。
冒頭の新聞記事に記載されているのがある。それは
93年夏の総選挙では、ほとんどの番組がその政治状況を
「自民対非自民」の構図で放送。扱いが「不公平」という
指摘があったされる。
しかし、「機械的公平」にこだわって放送した場合
大きく動き始めた政治状況を見失う恐れがあり
視聴者に「事実」を正確に伝えられなくなる。要は
「木と森を同時に見極めよ」としている。
以上の見解は、当時の日本テレビのまとめたガイドラインだ。
脱線するが、新聞の世界は今では朝日、毎日と読売、産経が
それぞれ、論調を区別している。昨今の新聞ジャーナリズムの流れだ。
ここにマスコミ報道の多様性が見られて、読者はそれぞれ購読している。
TV報道にも、こうした多様性があっていいのではないか。