
縁という言葉は親しみがある一方
もどかしい存在のようにも思える。
先日、訪れたお寺にしつらえられた石の彫り物を
撮らしてもらった。
縁というのは、仏教の世界でよく使われているようだ。
「縁なき衆生は度し難し」とは、いかに仏でも
仏縁のないものは救済しにくいという。したがって
人の言葉を聞き入れないものは救いようがないという諺であるが。
しかし、本当は仏の心はそんな狭量ではないはずだ。
「縁は異なもの味なもの」というのもあるが、これは男女の関係の不思議さを
表したもの。これに関連して京都・安井金毘羅宮などの縁切り神社も存在する。
縁はこの世でいろいろな場面で使われる言葉であり
日本語の持つ微妙さを表出している感がある。
「縁もゆかりない人」と、つながるのがインターネットの世界。
縁は、ネットや崩壊から修復に進むコミュニティの世界でも生きている。
最近はやりの「絆」というのも、縁の一種かもしれない。

(京都東山の安楽寺で)