
京都・東山の法然院の茅葺きの門

新緑がすがすがしく静かな佇まいの、「法然院」を久しぶりに訪ねた。
法然は浄土宗の開祖で、南無阿弥陀仏の言葉を唱えると
極楽浄土へ行けるという事で世に広まっていった。
それはともかくとして、観光の空間として法然院に
来てみて、いつも不思議に思っていたことは山門の
入り口を入ると、砂土で出来た盛り土が両側に目に付く事だった。
これはどいう意味を持っているのか。
法然院のHPを見ると答えが出ていた。
「白砂壇」(びやくさだん)と呼び、水を表しこの間を通ることは
心身を清める為とあった。寺社でよく見かける手洗い場と同じ意味合いになる。

もともと、法然院は浄土宗の寺だったが、戦後はどの宗派にも属していない。
独自の境地を持ったお寺さんだ。
こんな事情もあってか、境内の講堂は
講演会、個展、コンサートなどの会場となっている。
寺は布教や先祖供養の場所だけに、限定してはならないという心構えがうかがえる。


この日、講堂では織り物の展示即売が行われていた。
寺の雰囲気に華やかさが加わり、モダンな感じが漂う。


これは禅寺でよく見かける造形だが、盛り上がった所が一風変わって見える。
法然院貫主の梶田さんのコラムコピーが寺に置かれていた。
「経済の高度成長で核家族化が進み、ふるさとが失われて来て
多くの人が、心のふるさとを求めて京都に来られる」と。
そういえば、寺社と言えば年配の人がかつて多かったが
最近は若い人の姿がよく見かける。そんな一面をのぞかせているようだ。
最後に、興味ある法然上人との問答がHPに出ていた。
問い 「酒のむは、罪にて候か」
答え 「まことには飲むべくもなけれどもこの世の習い」
もっとも、仏教では酒は般若湯といい、飲料は可となっている。
しかし、度を過ごすといけないのは言うまでもないが。
余談だが、昨今はスーパーで酒を買うと、レジ横の機械に年齢判断のハイタッチ(指)の手段が取られて
戸惑う。酒は大人になってからのサインだが。