
(京都の竜安寺)
作家大佛次郎が書いた戦後の名作の
一つである「帰郷」の一節に、過去と今を思い出させる場面が出てくる。
かつて、よく言われたわび、さびの世界である。
「わびとかさびとか、西洋人の企て得なかった美の世界を
日本人が発見したのは、やはり、貧乏だった結果のように恭吾(小説の主人公)は見た。
人間の意欲をほしいままにした贅沢の出来ない素質の民族だから
意欲を殺して貧しい中に自らを楽しむことを工夫したのではなかろうか。」
ちなみに、わび、さびというのは学校の国語の時間にも
習った記憶があるが、簡素と閑寂の中に生まれる
風趣な世界で茶道や俳諧などがそれである。
小説は続く。
「苔だけの西芳寺の庭や、竜安寺の石の庭は変わっていて面白いし美しいと見たが
やはり簡素な味だの、草や木に愛着を寄せて生活の貧しさに堪えて来た
人間の設計だと感じた。
贅沢を悪徳として貧乏を美徳に算えて来た民族でないと、こんな清潔で美しい庭を
考え出すわけのものでない」。
贅沢を悪徳、貧乏を美徳とする考えは、今では反対のようである。
小説は戦後間もない頃に書かれたが、現今の状況は経済成長を遂げ
今また、下りさかにさしかかろうとしている。
ジョークになるが、これも戦後のある時期に書かれた
三島由紀夫の小説「美徳のよろめき」を思い出すが
これは、全然、別の世界である。

「帰郷」の小説では一方で
金閣寺の持つ開放的な良さを評価している。
「あれだけ典雅でいて官能的な庭は他にはないようである。
建物に金箔を置いた豪華な構え方も、日本人が造ったものとしては
度を外している。つまり、この庭には、貧しいところがないのだ」と。
この理由として、水墨の画や茶や禅の入って来る時代よりも以前の
設計だったとしている。
時代が変われば、生活の様変わりが到来する事を示唆する
小説と感じた。
昨今の消費税論議も突き詰めれば
国と国民の経済面の貸し借りに、帰着するように思えるがどうだろうか。
