

四度にわたる戦乱の面影を映す寺院が
京都に残る。
その戦乱とは室町時代の応仁の乱、関ヶ原の戦い
幕末の戊辰戦争。それに太平洋戦争に関わった人物。
東福寺の入り口から、すぐに入ったところに
「退耕庵」という東福寺の塔頭がある。この寺がそれだ。
退耕庵は室町時代に創建されるが
応仁の乱で荒廃。その後、禅僧の安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が再建。
安土、桃山時代のころである。安国寺恵瓊は豊臣秀吉に仕える。
秀吉亡き後はこの寺の客殿で、石田三成、宇喜多秀家、恵瓊らが
関ヶ原の戦い、徳川討伐の謀議。
しかし、恵瓊らは敗退の運命に。

(客殿)
幕末を迎え、東福寺に長州藩の陣が置かれる。
鳥羽伏見の戦いが起きる。
当時の幕府との戦いである。この寺がこの戦乱による
殉難者の菩提寺になる。


岸信介さんは太平洋戦争の時の商工大臣。
戦後、戦犯に問われるが、後に首相に就任。
間接的に戦いに関わった人物。安倍元首相の祖父。
今の日米安保条約の基礎を形成した人である。
なぜ、岸さんがここで記念植樹を行なったかは
聞き逃した。
こうした戦いのゆかりとは別に
平安時代の和歌の秀才歌人である小野小町の
地蔵菩薩を祀るお堂がある。

美人だっただけに、恋文が本人にたくさん送られてきて
この銅像に貼られれているそうである。
「良縁を結び、悪縁をたつ」という観点から
信仰を集めているとのこと。
戦争と恋い争いが混ぜ合わ去った感じで
考えればユニークな歴史を持つお寺である。
小町のゆかりの寺は、全国各地に散在している。
謎の多い女性である。
