

嵐電北野線の妙心寺駅を降りると
まだ、雨が降っていた。
6月の中旬、禅宗の寺としては日本最大の妙心寺を
訪ねてみた。
とはいっても、広大な妙心寺を
一件ずつ見て回るわけにはいかない。
北門から、ほぼ一本道が通っている。
この日は,この道伝いにプロムナード的に
見て回る事にした。

妙心寺は南北朝時代の1337年に
花園天皇が、離宮を伽藍としたのが始まり。
その後、再建を繰り返したが
今は500メートル四方に
塔頭を46を持つ臨済宗妙心寺派の大本山。


妙心寺が出来て以降は、室町幕府の時代。
当時、政治的な意向から禅宗の寺は
「格付け」が行われた。
現在でいう、格付け会社による格付けである。
会社、国債がなどが対象になるものだ。
禅宗の場合は、いわゆる、五山というものがそれである。
鎌倉にもあるが、京都五山は
南禅寺を別格として
一番目は天龍寺、二番目は相国寺、三番目は建仁寺
四番目は東福寺、五番目は万寿寺。
これらの寺は、幕府の保護と統制が実施されたが
禅宗の大手である、大徳寺と妙心寺は、「はずれ」の憂き目になる。

参道に咲く白い花はドクダミ。

妙心寺の歴史が続く。
室町幕府の保護下にある五山の寺は、禅林または叢林という。
反対に妙心寺、大徳寺などは、林下と言われる。
こうした、格付けは、時の政権と寺の確執みたいなものが
潜在していたようである。
京都の禅寺には、「禅づら」といったあだ名があったそうである。
東福寺の「伽藍づら」、建仁寺の「学問づら」
相国寺の「声明づら」、妙心寺の「そろばんづら」
大徳寺の「茶づら」。大徳寺は千利休のゆかりが絡んでいる。
これらのあだなは、当時のものだけに今は
それに該当すのかどうかは、別物のように思う。
むしろ、禅宗文化を表現する、一端とも受け取れるようだ。
この辺は、京都史跡見学(村井康彦著 岩波ジュニア新書)を
参考にさせてもらった。
