


宮内庁の管理が行われ、抽選によって参観が
可能になる。参観希望が多いためだ。
さいわい、抽選にあたり見学に出かけた。
今、この離宮の広大な庭園の新緑がきれいである。
修学院離宮は平安時代に僧侶の勝算が営んだ
寺が始まりといわれる。
その後、幾多の変遷を経て
江戸時代なって、徳川家光が後水尾上皇の為に
この地に別荘を造営。
当時、江戸幕府と京都朝廷は政治などを巡り
ギクシャクした関係にあった。
そのひとつに、大阪冬の陣の際
幕府が行った、豊臣秀頼の追討の綸旨(要請の意味合い)を
朝廷が許可しなかった事がある。
徳川家康は、普段の慎重さにも取り乱したと言われる。
そして、天皇を隠岐島に遷せまでと怒り狂ったという。
修学院離宮は、そうした確執の記念碑としての性格を
帯びた存在だった。
歴史的な経緯は煩雑になるのでこの辺にして。
離宮(御茶屋)は下離宮、中離宮、上離宮の3つのブロックからなる。
それぞれ、松並木の道と連なり、両側に広がる田畑から構成されて
総面積は54万㎡の雄大さである。




特に見応えがあるように思える。
隣雲亭の高台からは、遠く鞍馬、貴船の山々が見え
すばらしい景観が楽しめる。
サツキ、もみじの赤い花、夏ハギの一種と見られる花も
目立たぬように点在し、一般の寺院に見られる庭園とは
一味異なる雰囲気が漂う。敷地が広大な理由にもよるのかもしれない。



