平清盛と祇園女御 | 世情いろいろ

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日々、思いついた事、感じた事を写真をまじえながら
記録していきます。そして季節性を取り入れながら。ジャンルは
多岐、多彩にと思っています。

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 平家の全盛時代を築いた平清盛。

清盛誕生のエピソードについて。

 最近、世界遺産になり話題になった熊野地方。

かっては、この熊野詣を頻繁にして有名な白河上皇。

 平安時代の末期、白河上皇は

八坂神社近くに住む「祇園女御」(ぎおんのにょうご)のもとに

 盛んに通いつめていた。

天皇の身辺に仕える女房のうち、正式な宣旨を受けた人が

 「女御」と名乗れる定めが当時あった。

しかし、祇園女御は宣旨を受けていなかったが

 世間は上皇の寵愛ぶりから、女御と呼んでいた。


ある年の五月雨の降る中を、白河上皇は八坂の彼女のもとへ行く途中

 怪しく光るものを見る。

同行していた武士たちが騒ぎ始める。

 「片手に鎚のやうなる物を持ち、片手には光る物をぞ

持つたりけり」(平家物語巻第六)と記されている。

 上皇は連れの武士の平忠盛に「射るなり切るなり」と命じる。

忠盛は狐か狸と思い、切らずに済ませた。

 実は御堂の灯明に、火をつけようとする人間だった。



上皇は忠盛の判断を賞賛して、祇園女御を与える。

 彼女はすでに、上皇の子を身ごもっていた。

こうして生まれたのが、平清盛だったという。

 八坂神社の奥に「忠盛灯篭」が今も残されている。


清盛が忠盛の長男である事は、史実にあるが

 祇園女御との絡みは定かではないようだ。

※ 参照 京都百話(奈良本辰也編 角川ソフィア文庫)など。

      写真は八坂神社境内。4枚目は神戸・兵庫津の道の清盛塚。