




日本の防衛のあり方が主なテーマになっている。
幕末の頃は西洋各国の開国を求める動きをめぐり
国論は二分した。尊王攘夷論だ。
当時の外国艦船の来航に伴い、時の政府の徳川幕府は
沿岸を防備する為、砲台を建設した。
阪神間の西宮から神戸までに今津など4つの砲台が
つくられた。設計者は幕府の要人で海軍に詳しい勝海舟。
工事請負は講道館柔道の創始者嘉納治五郎の父。
4つの砲台のうち、現存するのは神戸港の西にある
和田岬砲台だけで、他はほぼ消滅している。
和田岬砲台は石造で、内部が木造2階建ての構造になっている。
石は戦国時代の水軍で有名な瀬戸内海の塩飽諸島から
切り出された御影石を使用。木は六甲山で伐採した木材を利用している。
当初は全部で27門の大砲が装備される事になっいたが、実際は
装備される事はなかった。
完成には1年半の時間を要した。工事中には14代将軍徳川家茂や
最後の将軍の慶喜も視察に来訪している。
内部は公開されていないが、用意されているパンフレットから
その様子が知る事ができる。
この砲台は甲子園球場の17箇所分の面積を持つ
三菱重工神戸製作所(二見工場含む)の広大な構内にあり、受付から徒歩15分の
所要時間が必要。見学は往復35分は見ておかねばならない。健脚向き。
一般にも公開されており親切に案内してくれる。兵庫県下の史跡第一号でもある。
※ 見学問合せ 三菱重工業(神戸)のHP。
写真は配布パンフレットから抜粋。