





西本願寺と東本願寺。通称”お西さん”、”お東さん”で
親しまれている。どちらも開祖は親鸞で浄土真宗の寺。
歴史をさかのぼる。根強い結束のある真宗教団は
天下を掌握しょうとするものにとってネックになり
厄介な存在。そこで、戦国時代の織田信長は比叡山の
焼きうちを行い、大坂・本願寺の攻略には手を焼いた。
豊臣秀吉は懐柔策をとり、本願寺(西)が今の六条堀川に落ち着いたのは
その庇護による。
天下を治めた徳川家康は、真宗の大教団を分割して統治する
戦略をとる。今の、烏丸六条に地を与えも一つの本願寺を
つくらせた。家康の思惑通り、西、東の本願寺は対立が始まる。
力が分断で弱くなる。
朝廷の序列は、西についで東だったが徳川幕府の庇護は
どうしても東の方にかたよる。東本願寺の東に
渉成園枳殻邸の別邸(現在は庭園)があるが、これは家光から
土地を与えられ作られたもの。
本願寺に対する3人の将軍の考えがよく反映され対照的。
西本願寺は今、世界遺産に
指定されているが、東本願寺は対象になっていない。
この点については文化財の相違もあろう。
※ 写真はじめ3枚は西本願寺、あと3枚は東本願寺と渉成園
参照 京都故事物語(奈良本辰也編 河出文庫)