全くと言って良いほど眠れなかった
寝ついても、短時間で目覚める
どうしたものか?
どうにもならない
お仕事したら、こうなる
こんな状態で、万一、働きに出るとなったらできるんだろうか?
まだ、面接の日程さえ決まってないのに自信過剰な心配
夕方から外は寒いくらい
急に
室内は適温と言うより、モワンとした暑さ
ついでに食欲が、そんなに無い
お腹は空くがタイミングを逃したら、もうどうでもよくなる
今日は、あたしが嫌いなゴミ出しの日
ただ出すだけだが、なぜか嫌い
ひとつは夫と鉢合わせしないかと言う恐怖感
あと面倒
あたしの選択はミスだらけ
いつも2択を間違う
しかし自己責任だ
お仕事で朝、昼と体調をきかれる
言ったところで何が変わるのか?といつも疑問
その前に体調チェックの入力があるが、その意味は何なのか?
昨日は、あまり良く無い と答えた為に、また話さねばならなくなった
聞いて頂く、時間を割いてもらっている と言う気持ちから話をするが、今の調子の悪さ、言葉であらわせる部分と、説明出来ない部分がある
幸いに、ここに記録しているので、同じような話をする
無理ないペースで はい、ありがとうございます
そのやりとりに意味がない気がしてならない
そう言いたいところを我慢する
あんなに、有難いと感謝の気持ちでいっぱいだったのに、そんな風に思う自分が嫌になる
世界中、日本中、みなさんが、悩みなく暮らしているわけではない
今も苦しんでいる方々がたくさんいるだろう
そんな方々に比べたら、あたしの悩み苦しみは小さいのかもしれないが、とてもきつい毎日だ
もうすぐ49歳になるが、楽しい時期ももちろんあった
しかし、苦難が多い
そんなに遭遇しなくて良い苦難
大事な人を亡くし、病み、障害を持つ
医療や福祉にたずさわっていたが、自身が障害者となったこと、悔しい
でも、きっと幼い頃から生きづらさは抱えていたと思う
病み、働けなくなった頃の記憶はあまりない
どうやって暮らしていたのか
ただ友人が病院へ連れて行ってくれていた
心が病んだ
ようやく外に出れるようになったのは、さくのお陰
だんだん外が明るく見えた
笑えるようになった
しばらくしたら、大きな病にかかった
コロナ真っ只中の直前
この時も、具合が悪いと友人にSOSを出し、すぐにかけつけてもらったが、あたしを見た瞬間、救急車を呼んでくれ搬送された
貧血がひどすぎ意識も薄れる中に、初めて救急車に乗り、隊員の方に「運ばれるのは大金がかかるんですか?」と聞いた後は記憶が無い
予後、悪化し入院
コロナ真っ只中で、孤独に入院
車椅子生活をした時期もあった
なので、あたしは心身とも万能では無い
頑張ってはいない
生きたい‼︎ と強く思ったわけでもないが、さく達がいたから、戻らなければ と、それだけ
正直、離れて暮らす両親の事は頭には無かった
ただ心配をかけてばかりの役立たずだと思っていた
歩けば転ぶ
走ることなんて出来ないから歩く
苦難多いが、支えてくれた友人のおかげで今がある
元気の良い時は人の役に立ちたい
あたしで良いなら と思ったり
感謝したり、心底有難いと思えた
夫のことは記憶から消したいの一言
決めて行動する力も無い
兄の突然の死
両親を思う気持ちだけで動いているが、ひとりになると悲しみがあふれる
なぜ? と思っても、もう会う事はできない
娘たちがいるから、救い
気にかけて下さる方がいるのは救い
何もできない
真っ暗闇に、まだいる
調子が悪い 当たり前だ
身体ですか? メンタルですか? と聞かれることにうんざりするから、大丈夫だと言いたい
ここだけは、正直に吐き出せる
ずっとそうしてきた
それでも、やらねばならない
生き続け、暮らしていかねばならない
だから、動く
どこかで人に優しくできたら気持ちが楽になりそう
自分を感じれる
だが人に会わない環境
働きに出ると、今以上の困難がある
やれる自信は全くない
読んでくださった方
ありがとうございます
気持ち明るい内容じゃないのに
読んで下さる、あなたがいて嬉しい