すっかりと春らしくなりました。
一気に咲き広がる花々が
凍えていた寒さを過去にして
進行形の彩と共に移ろう季節は
新年度の歓迎も準備万端
という感じでしょうか。
春先特有の強風は
それなりに勢いがあるせいか
花粉症で困る方々にとっては
厄介な風となる一方で
そうでない人々は
花見やオープン戦の話題も絡めて
賑やかな春を感じるものなのでしょう。
忙しいとは心を無くす、、なんて
言われたりもしますが
私の場合は実際に心が無くなれば
何事も楽になるんじゃねぇの?
なんて無駄に考えたりしがちです。
己の愚かな日常に躓き嘆き焦り
具体的な行動から逃げて離れて
狡さの正当化を探してばかりいるから、、
その日常そのものが滑稽な
悪循環となっているからなのでしょう。
惨めでも生きている事は
幸せなのでしょうか?
惨めなら潔く消える方が
得策なのでしょうか?
答えはどの道にも落ちて
転がってはいないようです。
苦しいのなら逃げてこそなのか
苦しくても耐え忍び待つのみなのか?
真実は探しても求めても
何処にも刻まれた形跡がありません。
悲しくても示せない憤りは
飲んで薄める以外に何か
手立ては無いのでしょうか?
自己責任という契約は
博打と同じ意味を持つのでしょうか。
死は本当に終わりなのでしょうか?
死に顔と寝た顔が似ている事は
何か関係があるのでしょうか?
その真相とはああだこうだと
激論してもしょうがないので
死の意味は分からんままにして
静かに眠って夢に委ねましょう。
文字の羅列で気持ちは
ちゃんと伝わるのでしょうか?
文字の羅列こそが
本音と言えるのでしょうか?
暗い部屋で綴る事は
地味で不気味に見えますが
落ち着いて己に向き合う
貴重な時間なのかもしれません。
昨日は本当に昨日、、
だったのでしょうか?
昨日はホントは
今日なんじゃないの、、って
疑ってみても
僕の頭脳では解明なんて無理なので
受け流して諦めて忘れましょう。
明日は本当に新たな一日なのか
明日もホントは
昨日のままじゃねぇの?
なんてツラツラと
今日をテクテク生きながら
つまらない言いがかりは
よしこさん、、なので
気にせずに前を向く事が
私にとって大切な行動指針と
なり得るのでしょう。
突然の出来事は受け入れるしかない
予測不能な件は相談するしかない
それだけの事で回り始める社会なら
いちいち感情的にはならず
淡々と向き合う事が大事な
対応策なのかもしれません。
私は楽しそうじゃないけど
死が迫るほどの苦しみもなく
不幸なんだと言い切れない
中途半端な日常に不満タラタラ
感謝が出来ない普通の愚人です。
怖さはないけど希望も無く
目標も定めずに過ごす繰り返しが
価値とか必要性も無い
気楽で気軽な庶民という
奴隷としての存在ではありますが
搾取されても負けても転んでも
世の定めに従う労働者とは
真面目に働き支払い続けてこそ
役割を果たす立場として
全うできるのだと考えます。
複雑な制度の中で
麻痺した精神と不気味な常識を
笑顔で疑わず逆らわず
拒まずに確実にコツコツ遂行してこそ
模範的な下僕民として
確実に登録される仕組みに
花を飾り華を添えて
鼻を啜って逞しく生きましょう。
雨でも風でも春は春で
暗くても寒さが戻ってしまっても
咲いた花々が蕾に戻る事は
ありえないのが世の常ならば
枯れて朽ちて消えるまでの間に
花には価値が付けられて
色んな意味を押し付けられて
シェアされてフォローされて
広がり巡る循環となるのでしょう。
あんなに痛くて冷たくて
辛くて寒かった冬の事は忘れて
花々の輝きに気持ちを寄せて
朗らかに軽やかに清々しい
気分となってもならなくても
生きれる今日があるならば
綴りましょう思うままに。
発しましょうアホでもクズでも。
並べましょう、文字の羅列を。
整えましょう、、狂った心も。
示しましょう不思議な証を。
楽しみましょう、、
証の不思議を気にせずに
喜びましょう
花が咲く季節を。
