思い出という過去を
どんなに美化して語っても
所詮、僕の今は
ただの今でしかない。
過去という記憶を
忘れて消したつもりでも
私の今は結局
何も変わらない。
希望という未来を
美化して描いて想像しても
やっぱりとりあえずは
今を生きるしかない。
夢という将来に
忘れていた事とか
消えてしまった事とか
無くしたことや
捨てたことが蘇り
全てが一緒に分かち合い
称え合い尊重し合って
実現出来たら幸せかもしれない。
何かを求める矛先に
何かを失う恐怖があっても
このまま進めるか?
何かを得る喜びには
何かを痛める悲しみが
あっても無くても
気にしない、気にならない
強靭な精神が必要な社会だ。
だからこそ
この世に起きる
表裏一体の出来事を
自分の都合に合わせて
側面だけ見て判断してきた。
自我でも我欲でも
希望だと語れば美化できる。
偏っている内容でも
夢だと解釈すれば
諦めだろうが
惨めだろうが
ただの人生の流れに過ぎない。
冷酷で卑劣だね、と言われても
笑顔で暮らす生活をしている。
卑怯で非常で異常であっても
しょうがないね、と
ただ眺めて
通り過ぎる日常がある。
感動に感謝をしても
変わらない現実を受け入れて
感激に涙したとしても
気が付けば
私はまた
今日をのうのうと生きている。
飯を食って寝て起きる。
その繰り返しに
意味があるんだ!と思いたいけど
無で空で
光で風のような暗闇を
仮定しては固定して
測定しては決定した事も刹那。
自己満足の戯言だったね
と笑うしかない。
それでも思い出とは
時に何の支えとなり
過去は僕を助けてくれる。
そんなこともあったけど
そんな事があったからこその
今という私の現在。
当時は緊張して
音も香りも雰囲気も
味も趣も拘りも
何も感じることなく
ただ向かい合う
相手を眺めていたのだろう。
今はくたびれた
惰性で生きているからこそ
感じる事もあるものだ。
この贅沢な環境は
今も昔も変わらない。
喫茶店で
甘い思い出を浮かべては
深煎りのほろ苦い
コーヒーを啜るだけの
枯れたオッサンに
なっただけの話。
それはもう
しょうがない
ただそれだけのことだ。
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