皆さんは、心豊かな人生が送れていますか?
私は神様と出会うまで
今思えば
とても空しい人生を送っていました。
何かに例えるとまるで
親のいない孤児
といったところでしょうか。。。
いつも未来が不安で
人気や職場や人々の称賛を失う事を恐れていて
周りの目を気にして
夜は眠れないほどの心配性で
死んだ後の事を考えると確信がなくて。。。
今思えば決して満たされているとは言えないような
ある意味で絶望的な人生だったのではないかと思います。
もちろん世間的に見ると何の不自由もなく
むしろ羨ましがられるような生き方をしていたかもしれません。
しかしそれは常に不安だからこそ、
この世で強く生きていかなければならない
と考えていたからこそ
必死に自分の価値を見出そうと
世のもので埋めようと必死に生きていただけだったのです。
人間というのは私達を創造してくださった
真の生みの親である神様を知るまでは、
まるで孤児のように
恐れという支配のもと
奴隷のように生きていくしかないと思います。
しかしそんな絶望的な淵にいた私を
イエス様は
この天地万物を創造してくださった私達の親であられる神様は
孤児だった私達を取り戻すために
この世に来られ、聖書というラブレターを与えられた事を
知識ではなく心でも魂でも分かった時に
私の人生は変わりました。。。
もうこれ以上孤児ではなく
天のお父様の娘として
この世で悪に支配されずに勝利者として生きていく
人間本来の生き方に回復されたのです
皆さんも人生をやり直したいですか?
何かがおかしいけど
人生をやり直す勇気がありませんか?
なんだかむなしくて生きていく勇気が湧きませんか?
どうかこのブログで皆さんお一人お一人が
イエス様の愛と平安の中にあって
第二の人生を見つけられるように
心から願ってお祈りいたします。
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皆さんは現在、どのような生活を送っておられますか?クリスチャンとしてどのように生きているかという質問です。また、まだ神様を信じていない方なら、皆さんの生活はどうですか?
皆さんは豊かな人生を送っておられますか? 自分はどのような生き方をしていると思っていますか?
キリストの中で新しく生まれ変わった人として、皆さんは豊かな生き方をしていますか? それとも、毎日慌ただしく落ち着かない生活を送ってはいないでしょうか? 常に心の中に悩み事や心配があって落ち着かないですか? それとも主の中で平安と恵みがありますか?
皆さんは、イエス様を信じていても、イエス様を信じてない人と何の違いもなく、ただ平凡に生きているのではありませんか?
もっと具体的に質問してみましょう。皆さんは今も死に対して恐れていませんか? 病気になるのが恐ろしく、交通事故にあうのが怖くありませんか? 死ぬことを恐れながら生きていませんか?
また、心配事から解放されないまま生きていませんか? 心に真の幸せと平安がありますか? 朝目覚めたとき、神様の恵みと平安が心の中にあふれ出していますか? ベッドに入るとき、安らぎと幸せが、また救いの確信が心の中にあふれていますか?
今日はたくさんの質問をしました。しかしこのような質問に、皆さんがそうではないと答えるなら、皆さんはキリストの中でよみがえる経験を再びする必要があります。
皆さんも豊かに生きることが出来ます。希望があります。
この重要な問題に関して今日一緒に研究してみましょう。
皆さん、ラザロの話を覚えていますか? ラザロは一回死んでからよみがえった人です。私たちがイエスキリストの中で死を征服することができるという証拠を見せてくれた人です。
サタンは人間を死に対して恐れるようにして、人間をとりこにしていると聖書は言っています。人々は、この世の中を生きる不安、お金に対する心配、健康に対する心配、未来に対する不安、生活の恐れと心配をたくさん抱えて生きていると、聖書は言っています。
しかし、イエス様がこの世に来られたのは、私たちをそのようなサタンの罠から解放させるためだと言っています。
へブル人への手紙2章14節と15節を読んでみましょう。へブル人への手紙2章14節と15節には次のように記録されています。
「このように、子たちは血と肉とに共にあずかっているので、イエスもまた同様に、それらをそなえておられる。それは、死の力を持つ者、すなわち悪魔を、ご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷となっていた者たちを、解き放つためである」。
ここに一生涯、死の恐怖のために奴隷となっていた者たちを、解き放つためにイエス様が来られたと、使徒パウロは表現しています。私たちは死ぬことを恐れます。なぜでしょうか?死の準備が出来ていないからです。神様を恐れながら生きているのではなく、この世の中でお金をなくすことを恐れながら生きているからです。この世の中で人気を失うのを恐れて生きているからです。自分の評判、職場、自分の事業などを失うのを恐れて生きているからです。それは、神様の摂理と導きに徹底的に屈服しゆだねる経験がないからです。
今私が死んだら、私の家族はどうなるか、私の事業はどうなるか、このような恐怖の中で生きているからです。
人々は死が怖くて、サタンの奴隷となって不安と恐怖の中で生きています。主に完全に献身し、確信を持って安らぎの中で生きているのではなく、サタンの奴隷になって、不安と恐怖のあまり妥協して、また次に妥協して、世の中に従うだけで、神様に従って生きていないのです。
なぜですか?死が恐ろしいから・・・。聖書はそのように表現しています。
しかし、イエス様は私たちを解放するために来られたと聖書は言っています。
皆さん、ラザロのお話にもどりましょう。ラザロが病気にかかりました。しかしヨハネの福音書11章によると、イエス様はすぐに彼を治しに行かれませんでした。それでラザロが死んで4日も経ちました。イエス様は遅れ、ラザロが死ぬまで待たれました。
イエス様はなぜそのような事をなさったのでしょうか?皆さん、ラザロの家とイエス様はとても親しい仲でした。イエス様が疲れたり、休みたいときはラザロの家で度々お休みになられました。それなのに、ラザロが病気だと聞きましたが、他の人は治してくださったイエス様が、彼をすぐ治しに行かれませでした。
イエス様はヨルダン川の東の方にとどまっておられました。そのようにされた理由は、ラザロが死に、いやされる希望が完全になくなるまで待たれたのです。それによって神様の力の偉大さをだれも疑えないほど表すためでした。彼が少し病気にかかったけれども治ったという程度ではなく、彼が死んだ状態からイエス様が彼をよみがえらせたなら、神様の力を何の疑いもなく信じる機会になるからです。
ラザロが死んだときイエス様は弟子たちに言われました。「行こう。ラザロが眠っている」。すると弟子たちは、「眠っているなら助かるでしょう」と言いました。その時イエス様は、彼が死んだと弟子たちに言いましたね。
ヨハネ福音書11章11節から13節まで見てみましょう。
「そう言われたが、それからまた、彼らに言われた、『わたしたちの友ラザロが眠っている。わたしは彼を起しに行く』。 すると弟子たちは言った、『主よ、眠っているのでしたら、助かるでしょう』。イエスはラザロが死んだことを言われたのであるが、弟子たちは、眠って休んでいることをさして言われたのだと思った」。
皆さん、神様にとって人間の死は、少しの間眠ることだと聖書は言っています。死んだとき眼を閉じて、少し眠って、眼を開けたとたんにイエス様が再臨される光景を目の当たりに見るのです。
聖書は善人と悪人の復活があると言っています。
皆さん、ヨハネの福音書5章28節から29節のみ言葉を覚えていますか?
「このことを驚くには及ばない。墓の中にいる者たちがみな神の子の声を聞き、善をおこなった人々は、生命を受けるためによみがえり、悪をおこなった人々は、さばきを受けるためによみがえって、それぞれ出てくる時が来るであろう」。
このように聖書に書かれています。
ここでは、善人と悪人のよみがえりがあると書かれています。そうですね。
よみがえりは1度だけではありません。死んだ人はすべて土の中で眠っていて、イエス様が来られたとき善人のよみがえりがあり、千年期の後、悪人たちが裁かれるため二度目の、最後のよみがえりがあると聖書は言っています。
使徒行伝24章15節には次のようなみ言葉が記録されています。
「また、正しい者も正しくない者も、やがてよみがえるとの希望を、神を仰いでいだいているものです。この希望は、彼ら自身も持っているのです」。
聖書はよみがえりがあると言っていますね? しかし二種類のよみがえりがあるのです。正しい者と正しくない者のよみがえりがあると書かれています。聖書は善人と悪人のよみがえりがあると言いますが、イエス様がおいでになる時は善人たちがよみがえります。死んでいた善人たちが、ものすごい数でこの地上によみがえります。その時の私たちの喜びはどれほどのものでしょうか!
亡くなった妻が夫と再会し、子供と親が再会して喜びあっている中で、その人たちは地上から浮き上がり天に昇っていくでしょう。二度と別れはありません。二度と死はありません。二度と悲しみはありません。
しかし、黙示録の20章は語ります。千年期のあと悪人のよみがえりがあると聖書は語っています。
悪人たちの裁判は、全宇宙の前に公開されます。神様が彼らを苦しめるために行われるのではありません。神様の審判がどれほど公平であるかを、全宇宙に立証するためです。神様が悪人をもう一度復活させ、なぜ彼らが滅びなければならないか、なぜ彼らが救われなかったのかを、全宇宙の前ですべて明らかにされます。なぜ私の妻は、夫は、子供は、親は、天に来られなかったかを神様が明らかにした後、悪人の滅亡があると聖書は語っています。地獄の炎が彼らを燃やすと聖書は語っています。聖書は復活があると言っています。
春に新しい芽が出るのがその証拠です。さなぎから出てくる蝶々がその証拠です。新しい命があると語っています。この世には、これから復活があると聖書は言っています。皆さん、ラザロが復活したことは、復活があることを証明しているのです。死んだ者の復活があります。その時、皆さんはどこにおられますか?
ラザロが死んで四日後にイエス様がおいでになりました。彼は完全に死んでいました。家族が泣きました。一緒にいた人たちも泣きました。その時イエス様が彼のお墓に行かれました。そしてイエス様が涙を流されたと聖書には書かれています。英語聖書の中でもっとも短い節です。“Jesus wept.”
神様は人類の不幸を目の当たりにされました。罪の結果をご覧になりました。そして神様は、私たち人間を哀れに思われました。イエス様が来られるまで、苦しんで、死んでいくしかない人間を目の当たりにして、あまりにも惨めな人間を哀れに思い、ラザロのお墓の前で涙を流されたのです。
ラザロの死は全人類の死を代表しているもので、その死のための涙を流されたのです。罪の結末を目の当たりにして涙を流されたのです。
それからイエス様は言われました。「石を取りのけなさい」。その時代のお墓は横穴式で、大きな石でお墓の前を塞いでいました。その石を取りのけなさいと言われました。
霊的に私たちがよみがえる前に、心の門を開かなければなりません。塞いであった心の門を開かなければなりません。
ラザロは死んでから4日がたっていました。お墓の中で死体の匂いがしていました。同じように、私たちは私たちの心の門を開き、私たちの中にある罪の匂いがするすべてを、神様の前に全部さらけ出す必要があります。
イエス様が言われました。あなたの兄弟はよみがえるであろう。その時マルタが言いました。「終わりの日のよみがえりの時よみがえるのを存じています」。
そうしたら、イエス様が言われました。ヨハネによる福音書11章25節から26節、有名な御言葉ですね。
「イエスは彼女に言われた、『わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか』」。
それから、眠っているラザロを大きな声で呼び起こされました。
「ラザロよ、出てきなさい」。
聖書には「こう言いながら、大声で『ラザロよ、出てきなさい』と呼ばわれた」(ヨハネ11:43)と書いてあります。
皆さん、よみがえりは個人的な経験です。団体的な経験ではありません。私の夫がよみがえるから自分もよみがえるのではありません。妻が救われたからといってその夫も救われるのではないのです。
イエス様の大きな声は創造の力があるので、もしイエス様がラザロの名前を呼ばなかったら、ラザロのお墓の周りの死人たちは皆よみがえったでしょう。
ですから、皆さん、復活と、信仰の復興はきわめて個人的な経験です。
ラザロが布で巻かれたまま出てくるのを想像してみてください。彼は死んでいました。しかし生命のみ言葉が彼の中に入ったとき、生命のみ言葉には創造の力があるので、ラザロは目覚めて出てくることができたのです。
皆さん、私たちが信じている聖書の御言葉も、神様の創造の力ではありませんか?
その時イエス様は言われました。「彼をほどいてやって、帰らせなさい」。
ラザロは手足を布に巻かれていました。出てくるとき、まともに歩けなかったはずです。それで、彼をほどいてやりなさいとイエス様は言われました。
もし、人が生まれ変わり、よみがえったとしても、布にまかれているままだったら、その布を早くほどいてあげるべきです。ラザロをよみがえらせたのは、彼が布にまかれたまま墓の中で暮らすためではありません。墓から抜け出して、もっと豊かに生きてほしいから彼をよみがえらせたのです。新しい服を着、新しい命を持ち、新しい目的と新しい習慣を持って生きてほしいから彼をよみがえらせたのです。
現代の多くのクリスチャンが救われたとか、霊的に新しい命を得たとか言いますが、その行いは死んだ行いではありませんか? 生まれ変わってない人々と同じような欲を持ち、同じ競争心と嫉妬心を持って生きてはいませんか? 昔の習慣をそのまま持って生きてはいませんか? 同じ流行の歌を歌い、同じお酒を飲み、一緒に競争し、世俗的なものを好んではいませんか?
すなわちそのような人たちは、よみがえったと言っていますが、お墓の中で布に巻かれたまま生きているのと同じです。皆さん、ラザロのよみがえりはものすごい証でした。死んで、よみがえったのです。彼は服を取り替えました。新しい命と、新しい光の中でよみがえったのです。皆さんの生涯は、他の人に何を証してますか? 皆さんはどのような生涯を送っていますか? 昔と同じように生きていませんか? それとも、霊的によみがえった、生きているクリスチャンとして豊かな人生を送っていますか?
イエス様がロバの子に乗ってエルサレムに来られました。その時、人々はラザロも見たいと思って大勢の人が迎えに出たのです。彼はよみがえった後、イエス様を世の中に知らせたのです。皆さんは今、どのような生活を送っていますか? 神様を証しする生活を送っていますか? それとも相変わらず、生活の中で心配や不安を感じておられますか?
そのときパリサイ人たちは、ラザロまで殺そうとしたと聖書に書かれています。なんとももどかしい話です。
ヨハネによる福音書12章9節から11節までみてみましょう
「大ぜいのユダヤ人たちが、そこにイエスのおられるのを知って、押しよせてきた。それはイエスに会うためだけではなく、イエスが死人のなかから、よみがえらせたラザロを見るためでもあった。そこで祭司長たちは、ラザロも殺そうと相談した。それは、ラザロのことで、多くのユダヤ人が彼らを離れ去って、イエスを信じるに至ったからである」。
皆さん、ラザロのよみがえりは、多くの人にイエス様を信じさせました。皆さんの霊的なよみがえりにより、他の人たちがイエス様の香りを感じますか?豊かな生涯を証していますか? それによってイエス様を信じさせていますか? しかし、ラザロのように、真の命を受けたものは世の中から抹殺されそうになります。それで信心深く敬虔に生きようとするものはこの世で迫害を受けると聖書は語っているのです(2テモテ3:12)。
ローマ人への手紙8章17節にこう書かれています。
「もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである」。
主と一緒に栄光を共にするためには、苦難も共にしなければならないと書かれていますね。パリサイ人は神様がよみがえらせた者を再び殺そうとしました。冗談みたいなお話ですね? 彼らがどれほど霊的に暗かったかわかりますね。
ラザロはその時死を恐れたのでしょうか? 彼は一度死んでよみがえりました。彼にとって死は恐れるものではなくなっていました。なぜでしょうか?よみがえりの確信があったからです。
サタンは人々を死の恐怖で捕らえています。イエス様はサタンの奴隷になっている私たちを解放するためにおいでになったと聖書は言っています。
ラザロは死を恐れなくなりました。
皆さん、このような仮定をしてみましょう。
イエス様からいやしを受けた人たちが、中風の患者を慰めています。盲人だったのに目が開かれた者、全身麻痺だったのに動けるようになった者たちが、中風病患者を慰めています。いやしてもらえると言います。その時彼らの前にラザロが現れました。彼は言います。「私は死んだがよみがえりました」。その証の前で誰が、何を言い、何を証できるでしょうか?
皆さんの証は何ですか? 皆さんの生涯の証は何ですか? 死んでからよみがえったことでしょうか? 真の霊的なよみがえりでしょうか?皆さんの証は何ですか?
皆さん、コロサイ人への手紙の3章1節から5節にこのような言葉が記されています。
「このように、あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである。 あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない。あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう。だから、地上の肢体、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪欲、また貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない」。
これは私たちが過去に行っていた行為です。その中からよみがえり新しく回復される経験をしなければいけません。
エペソ人への手紙2章5節から7節を一緒にみてみましょう。
「罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは、恵みによるのである――キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、きたるべき世々に示すためであった」。
私たちをよみがえらせ、キリストと共に生かしてくださったのは、神様の恵みによって救われた絶大な富を世々に表すためだと言われています。
天使たちも福音の力がどのようなことをするのかよくわからないので、しっかり見たいと思っていると聖書にあります(1ペテロ1:12)。天使たちも見たいと願っているのです。天から、天使たちも今私たちを見つめています。
イエス様の救いの力が、聖霊による変化がどのようなものか、私たちの生涯を注意深く観察しながら、「実にすばらしい」、「救いの力はすごいものだ」と、そう思いながら私たちを見つめていると聖書は語ります。
そういうわけで、この地上で救いを経験する人々は、全宇宙の前に開かれた証の本となるのです。皆さんは、皆さんの生涯を何で表していますか? 皆さんは豊かな生き方をされていますか? それとも死が怖くて震えながら生きておられますか? 生まれ変わる経験を私たちは理解しなければなりません。
生まれ変わった者は豊かな生き方をしており、死の恐怖で生きていません。
以前私は、中国で牧師たちだけを集めて集会を開きました。そのとき一人の牧師が自分の教会の一人の青年を連れてきました。その青年が一般信徒だとは知りませんでした。集会が終わった後、今回の集会で質問や疑問があれば手紙に書いて出してくださいとお願いしました。多くの手紙の中で一つの手紙が目に入りました。このような質問でした。「私みたいな罪人も赦されますか?」。
私はびっくりしました。「この手紙を出した方は牧師先生ではないようですが、どなたでしょうか?」。そしたら、一人の青年が手を上げました。彼はヤクザでした。借金の取立て人でした。その時彼は、自分の罪を本当に悔い、私の前で涙を流しながら、私みたいな罪人も赦されるのですか?と聞きました。
彼に聖書を通して教え、彼のために祈りました。しばらくして、彼に会いました。完全に変わっていました。すばらしい変化です。彼は霊的に死んでいましたが、完全に生まれ変わったのです。
病気がいやされるより、何よりもすばらしい証は、罪人がイエス・キリストのよみがえりの力により、また聖霊様の能力により、新しい人によみがえることです。それによって豊かに生きるようになることです。
皆さん、これから残りの人生を、イエス様の品性、その美しい姿を表しながら、神様の救いの力を賛美し生きていくのはどうでしょうか?
皆さん、豊かな人生を送っていますか? それともまだ罪の奴隷のままでしょうか?
真理を理解してください。福音を理解してください。そして豊かな人生を送ってください。皆さんには希望があります。
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