私の両手、私の体
皆さん、こんにちは
愛と平和の芸術家、Aischaです
今日も素敵な世界に生きていていださって
ありがとうございます
今回は「私のカオ」についてです
この写真は私のインスタのアイコンとして
使用しているものです
風の時代で信頼が大切と言われる昨今
SNSアカウントは匿名ではなく実名で
アイコンも顔写真が望ましいと言われます
顔写真でなくとも人であるとわかる
体の一部を写した写真がいいそうですね
そこで、なぜ私がアイコンを
顔写真ではなく両手の写真にしたのかを
知っていただきたいと思います
大きくわけて二つの理由があります
写真を撮られる事が嫌いだった
現在はほとんど忌避感がありませんが
幼い頃は自分の顔を撮られる事が嫌いでした
これは「写真写りが悪い」という理由ではなく
「嫌だから嫌」という感じで
物心つく前の
記憶がある3歳の頃からそうでした
カメラを向けられると逃げ回るので
私個人のアルバムは
小学一年生の学習発表会で終わっていますし
アルバムの時間経過は
数を重ねる毎に速くなっています
何故そのような状態なのかと考えた時に
「私が好き」と言われるよりも
私が好きなものを「好き」と言われる方が
嬉しいからです
演劇をやってきて、歌手を目指していて
何を言っているという感じですよね
私は声を出すのが好きで
それによって表現したものを「好き」
と言われるのはいいんです
演劇も歌も作品ですから
「素の私」を注目されてはいません
要するに「私と同じ目線」で
興味を抱かれるのが嬉しいのです
そして、自分の顔は本物を見れません
私の視界に入っているのは常に手なのです
「私の人生の象徴」
私の人生は
己の体をどう動かすかの探究でした
声を出す事もそうですが
左半身の軽度麻痺の為に
体の左右差をどれだけ解消できるかが
常に意識にありました
その左右差は顔が一番少なく
手が一番大きいのです
顔については、声を出す事が好きで
小学生で演劇を始めた時に薦められて
歯並びの矯正をました
そこで顎を発達させる体操と
左右差をつくらないトレーニングを
し始めたからです
足についても左右差はありますが
手よりは少ないです
毎日歩く事で使っていますし
転んで怪我する事が常だったので
意識せざる負えませんでした
それに対して左手は
右手で代替可能な事がほとんどで
意識しなければ一切動かさなかったです
本格的に動かす意識をしたのは
中学生になってからです
だから皮膚が柔らかくて大きさも小さい
小学六年生の時点で小学一年生のような
左手をしていました
私の左手が
他人よりも発達していないのに対して
右手は他人よりも発達しています
わかりやすい例として握力があります
女性の平均握力は約20kgですが
私の握力は右手が30kg
左手が10kgでした
左右で平均すると丁度女性の平均になります
左右の手が表す二極の世界
できるという目標を表す右手
できないスタートラインを表す左手
左手を動かす意識を持ってから
右手を動かす時は常に
どの筋肉が動いているのかを観察していました
左手を動かす時は右手の動きを再現させる
という感覚で行っています
私が何かを達成しようとする時に思い出すのが
この始まりと目標を表す両手なのです
このように私の両手は
最も見た目の左右差も大きく
「私らしさ」が顔以上に表れていると感じます
だから
アイコンが私の顔であるよりも
両手である方がしっくりくるのです
そんな「私のカオ」のお話でした
ここまでお付き合いくださった全ての存在へ
ありがとうございました
愛と平和
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