気になるお堂を見に来ました。
 
お堂の額は「薬師堂」ですが、
八幡宮も同居しているようです。

Googleマップを見ていたところ、
お堂と神社が同じ場所に⋅⋅⋅
 
どうなっているのかと
不思議に思って見に来たところ、
こうなっていました。
 
かつて教科書で習った
「明治新政府による神仏分離」が
頭の中にあり、
仏教的なものと神社のものが
一緒にあるのは不思議に感じます。
 
 
もうひとつ、気になったこと⋅⋅⋅
お堂の向かって左。
 
家一軒分ほどの空き地ですが、
古い墓地のようなのです。
(写真にも、
小さく墓石が写っています。)
 
古い墓石や石塔、
石仏などが残されています。
 
おそらく江戸時代のもの。
ですが今はもう、
お参りされている
気配はありません。
 
近隣の人はこの墓地や
先ほどのお堂の由来、
知っているのでしょうか。
 
 
お堂の前の石仏。
両側の石塔は、
十九夜供養のもの。
この像は、
観音菩薩ではないかと思います。
(人家が建て込んでいるので、
写真を加工しています。)
 
 
ここは自宅から直線で、
数百メートルの場所。
 
これまでにも徒歩や自転車で
通ったはずですが、
地図で見るまで
気付きませんでした。
 
 
こちらはGoogleマップには
載っていない道。
(いつもより、木が茂っている⋅⋅⋅
この日は通りませんでした。)
 
 
神社の参道にまつられた、
首なしの仏像。
首が落とされた仏像は、
明治初期の廃仏毀釈に
関連するのでしょうか。
 

後ろの円形の板には、

子供を抱いた仏様が

描かれています。

 

お水やお賽銭も

あげられており、

今もお参りされる方が

いらっしゃるようです。

 

上はキンシバイ、
下のつぼみはビヨウヤナギ。