今日は「二の午」。
栃木県民が
しもつかれを作るのは、初午。
ただ、初午が節分より前であった年には、
二の午に合わせて作ることが多いようです。
それは、節分のときに使い、
残った大豆を材料にしているから。
午の日は、お稲荷さまをお祭りする日。
こちらは先月お参りした、
浅草の被官稲荷神社です。

その左側に、「・目中村勘三郎・」
の文字が見えるのが、謎です。
なぜなら、
勘三郎襲名は昭和25年、40歳のとき。
米吉の名を名乗っていたときに、
勘三郎襲名は全く未定だったはず。
⋅⋅⋅そう考えると、
この台座の「勘三郎」の文字は、
後年刻まれたものなのかもしれません。
先日放映されたNHKの
「ファミリーヒストリー」を視聴しました。
「中村屋」の歴史を、
勘九郎さんから4世代上の
初代中村歌六までさかのぼっての物語。
十七代目勘三郎(米吉)は幼い日、
浅草に住む母方の祖父から、
「浅草には昔、中村勘三郎という
立派な役者がいた。」と聞いていたとのこと。
そして後年、長年途絶えていた
勘三郎の名跡を継ぐことになりました。
不思議な縁です。