新しく幸四郎の名を継承する、染五郎丈への期待。
〈美しさと高麗屋の役々〉
舞台上の染五郎丈は輝くばかりに美しい。
「競伊勢物語」の豆四郎、「一谷嫩軍記」の敦盛、
「菊畑」の虎蔵、「伊勢音頭」の福岡貢⋅⋅⋅
ただ、その美しさ、線の細さが
逆に影響していることも⋅⋅⋅
「勧進帳」の初演が
40を過ぎてからであることが象徴するように、
重厚さを要する役ではどうしてもまだ、
若さが目立ってしまう面があるようです。
高麗屋として継承すべき役々が
たくさんあることと思います。
祖父や父が演じてきた「勧進帳」はもとより、
「熊谷陣屋」、「仮名手本忠臣蔵」の由良之助
といった系統の役。
役者としてのニンというものはありますが、
経験と努力で乗り越えられていくことと思います。
ただ、幸四郎となった日にも、
その若く美しい役々も見せてほしいと願っています。
〈負けず嫌い?観客サービス?〉
平成中村座で踊った「弥生の花浅草祭」。
激しい踊りで有名な三社祭を含む、
四変化舞踊を勘九郎と共に踊り抜きました。
このときのコメントとして、
「若い勘九郎に負けていられない。
自分も限界まで踊る。」というものがありました。
この思いは、後の「阿弖流為」の
激しい立ち回りにも通じるようです。
国立劇場のお正月公演、
舞踊「奴凧廓春風」では、自ら奴凧に扮し、
吊り上げられて最後は高速回転。
正直そこまでやらなくても⋅⋅⋅と思いながらも、
観客を楽しませようという心意気を感じました。
いやいや、これは観客サービス以上に、
ご本人が楽しんでいるようにも見えました。
(後の奈落転落事故の折には、そんながむしゃらな面が
災いしたかと思わずにはいられませんでした。)
染五郎丈がいろいろなところで発言していることですが、
子役の頃は、
ご褒美として好きなおもちゃを買ってもらえるので、
舞台に出ていたといいます。
大人になった今は、舞台そのものが
おもちゃのように楽しいものなのではないでしょうか。
幸四郎となっても、そんな遊び心を
忘れずにいていただきたいです。
きっとそれが役をふくらませることにつながると思います。