今日、2月21日は
十代目坂東三津五郎さんの御命日。
三回忌です。



三津五郎さんが、
盟友でありライバルでもあった
中村勘三郎さんを亡くしたときの言葉、
「肉体の芸術は辛いね。
そのすべてが消えちゃうんだもの…。」

その言葉は、
三津五郎さんを亡くした私たち観客に、
そのまま降りかかってきます。


三津五郎さんは、
歌舞伎役者としてだけでなく、
踊りの家の家元として、舞踊の腕も確かでした。

2013年6月、
歌舞伎座新開場3か月目の公演で、
「喜撰」を踊られました。

私は幸運にも、
その舞台に触れることができました。



新開場の賑わいと、舞台への期待から、
客席は静かな中にも興奮状態。
舞台が開き、清元の置唄に続いて
三津五郎さんが花道から現れると、
大向こうの「大和屋」の掛け声と観客のさざめきで、
演奏が聞き取れないくらいでした。

喜撰法師は洒脱なお坊さん。
女性のような柔らかさを見せながら、
嫌味にならず踊るのは難しい踊り。

三津五郎さんは、
さらさらと力を抜いて踊っているように見えました。

喜撰法師(…実在したのか、
架空の人物なのか判然としませんが)
その人が現れて踊っているようにも感じました。

まだ若くしてこの境地に立ったこと、
これからどんな素晴らしい芸境を見せてくれるのか、
楽しみなような、末恐ろしいような感慨にとらわれました。


皮肉にも、この年の夏に病気が発覚し、
秋以降の舞台を降板。

翌年4月歌舞伎座、「寿靭猿」で復帰、
8月の納涼歌舞伎に出演したものの、
翌2015年2月21日に永眠されました。


三津五郎さんの言葉、「肉体の芸術は辛い」。
勘三郎さんも三津五郎さんもいない今、
一観客として、それをしみじみと感じています。

しかし、すっかり消えてしまったわけではなく、
その姿は、私たち観客の目の奥に、心の底に
しっかりと焼き付いています。